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【卒業生特集③】大学駅伝2019-2023の4年間を振り返る【進路も】

新年度になりましたね。

大学生駅伝は新しいチームになっていきますが、
その代わり、卒業して、大学駅伝チームを去っていくランナーもいます。

今年度を持って卒業していくランナーを大学別に振り返っていきます。題して、卒業生特集です。

なお、入学直前の箱根駅伝の成績順で振り返ります。

箱根駅伝2019(第95回)の9位~12位
拓殖大学・中央学院大学・中央大学・早稲田大学です

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【卒業生特集③】大学駅伝2019-2023の4年間の振り返り

 多くの選手がスポーツ推薦で入学しています。だいたい高校3年の春~秋あたりに内定となります(一般受験性などは除く)。つまり、箱根駅伝の成績としては高校2年生時の大会が軸になります。そのため、今の4年生が、高校2年生時の成績から見比べていきます。

その①はこちら

もうすぐ新年度になりますね。 大学生駅伝は新しいチームになっていきますが、 その代わり、卒業して、大学駅伝チームを去っていくランナーもい...

その②はこちら

もうすぐ新年度になりますね。 大学生駅伝は新しいチームになっていきますが、 その代わり、卒業して、大学駅伝チームを去っていくランナーもい...
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拓殖大学

高2:箱根8位
高3:箱根9位、出雲4位
大1:箱根13位、全日本16位、出雲9位
大2:箱根15位、予選9位
大3:全日本14位、予選11位
大4:予選18位

 ちょうど、岡田前監督の集大成の時期に、この世代は勧誘を受けていたということですね。シード権を獲得している状況で、拓殖大に入部しています。

 ここから山下監督になります。箱根駅伝の順位としては、徐々に低下。1年目にシード権を逃すと、2年目はギリギリ通過。この世代が主力になってくる3年目は、調整ミスもありまさかの予選落ち。

 そして、最終学年、多くの主力の卒業があった中、勝負をかけて前半から攻めていきましたが、15㎞以降に息切れ。予選18位大敗…。栄枯盛衰を、とてもとても強く感じる4年間でした…。

ラジニ レメティキ④27分25秒65≪22予2位、21:全3区2位、予5位、箱2区5位、20:予1位、箱2区2位、19全2区3位、出雲3区5位≫ ⇒ 安川電機
江口清洋④28分49秒31≪22:予170位、全予4組28位、関東IC1万m19位、21:予137位、箱8区13位≫ ⇒ NDソフト
佐々木虎太郎④29分04秒47≪22:全予3組38位、関東IC2部3障、21:箱6区18位、20:予208位、箱8区14位、19:全4区14位、出5区9位≫
吉村 陸④29分11秒64≪22予166位、21:予217位、箱7区16位、20:予122位≫ ⇒ 富士山の銘水
工藤 翼④29分11秒73≪22:予156位、全予4組32位、21:全1区13位、箱10区13位≫
原田大希④29分15秒09≪22:予338位、全予3組33位、関東IChalf15位≫
山田拓人④29分23秒41≪23箱4区19位、22:予44位、全予1組32位、関東IChalf、21:全4区16位、予118位≫
関根大地④29分47秒27/14分54秒14≪22:全予2組37位、関東IChalf、20:予271位≫
後藤拓磨④30分21秒20
城 拓磨④30分32秒94
鈴木啓磨④30分49秒09
波多野佑大④30分52秒40

 そんな中、大きく話題になったのが留学生レメティキ選手。三大駅伝すべてに出場権があった1年時に出雲3区・全日本2区・箱根2区を経験。徐々に慣れていって、箱根2区は66分前半での区間2位!今でも1年生の歴代トップ記録と燦然と輝いています。

 その後も、2年時に箱根予選トップ、3年時は1万m27分25秒の大記録を出しています。留学生でもなかなか出せるタイムではないです。4年時は前半戦を故障で棒に振りながら、予選2位。最後まで大エースとしてチームをけん引しました。安川電機で、その脚力をまた見せてくれるでしょう。

 日本人でいうと、下級生時に勢いがあったのが佐々木選手。レメティキ選手とともに、三大駅伝にフル出場。箱根は8区14位とまずまず、2年時も6区山下りに出場しています。その後は、3障で成績を残しています。

 駅伝で主力になっていったのは、最終的に主将となる江口選手や、工藤選手、吉村選手ですかね。2年時には佐々木選手に、7区吉村選手8区江口選手10区工藤選手とこの世代が並びました。

 トラックの記録では、江口選手が28分49秒を出すなど、この世代日本人で唯一の28分台を記録しています。最後の箱根予選では、この3人が100位台で粘ったのが救いでした。

 そして上級生になって伸びてきたのが山田選手。3年時の箱根予選で118位まずまず、出場権のあった全日本駅伝も経験しています。そして、4年時の予選では、全体が苦戦している中、44位好走。学生連合という形で、箱根の座を射止め4区出走しています。

 他にも、長い距離を中心に徐々に台頭してきた原田選手や積年選手といったところもしましたね。実業団は、江口選手がNDソフト、吉村選手が新しい富士山の銘水で続けるという情報が入っています。

中央学院大学

高2:箱根10位
高3:箱根10位、全日本14位、出雲6位
大1:箱根11位、全日本10位、出雲11位
大2:全日本11位、予選12位
大3:箱根16位、全日本11位、予選7位
大4:全日本13位、予選12位

 この世代が、高校生の時は中央学院大が箱根駅伝に連続して出場していた時期になるのですよね。しかもシード権もぎりぎりではありますが獲得。本当に、粘り強いチームでした。

 でしたが、この4年間は育成型の中央学院大でも、高速化に翻弄される場面が増えました。1年時の時は、連続シード権の争いに惜しくも負けると、2年時は久々の箱根予選に対応不足でまさかの敗退。連続出場が18で途切れました。

 3年時は、故障者が多い中結束し予選7位で通過。2年ぶりに本線に出場し、復活へ第一歩を示しましたが、4年時は敗退…。一方、全日本駅伝は4年連続で出場するなど、トラック1万mで頑張りもありました。

小島慎也④28分23秒43≪22全1区6位、予136位、21:全予3組1位、箱3区18位相当、20:全2区15位、予67位、19:出2区5位≫ ⇒ 埼玉医科大AC
武川流以名④28分40秒48/13分49秒42≪22:箱3区10位、21:全6区8位、全予3組2位、20:全1区15位、予186位、箱6区5位≫ ⇒ トーエネック
前田篤志④28分51秒75≪22全6区15位、予201位、全予2組12位≫
松島 匠④29分05秒81≪22全4区12位、予98位、全予3組17位≫ ⇒ サンベルクス
鞍野陸人④29分18秒65≪22予305位、関東IChalf≫
米山奏楽④29分22秒85
荻沼直人④29分29秒45≪22全7区13位、予127位、関東IChalf17位≫
吉本光希④29分34秒69≪22:全予1組17位、箱5区10位、21:全8区8位、箱予43位、20:予132位≫ ⇒ 富士山の名水
中島稜貴④29分39秒69≪22:箱10区8位、20:全5区10位、予101位≫
上野航平④29分46秒13≪22:関東IC3障5位≫
川田啓仁④29分46秒71≪22全5区7位、予74位、21:全3区17位、予63位、20:予184位≫ ⇒ 埼玉医科大AC
鈴木吟河④29分47秒80
白髭一生④30分04秒16

 話題になったのが小島・武川選手になりますね。小島選手は、高校時代から1万m29分前半のタイムを出していて、早速主力に。唯一出場できた出雲駅伝で2区5位の好成績を残しています。その後、故障が多くなりましたが、2年時に学生連合で箱根を走ることはできました。

 武川選手は、高校時代までサッカーで、本格的な陸上は大学から。そういう中で、スルスルとレギュラーになったということで、大いに話題になりました。

 しかも、箱根駅伝6区山下りで区間5位快走!58分25秒のタイムは、1年生の山下り記録して、今も残っているのですよね。その後、故障が多くなってしまい、2年時はちょっと足踏みしていました。

 一度予選落ちしたあとの3年時。多くの選手の記録が伸びてきました。関東ICでは、3障で上野選手がびっくりの上位入賞、4年時でもいい記録を残していました。さらに全日本予選では、2組でブレーキがありながら、3組久々揃った小島・武川選手が快走し、出場へ。この戦いは素晴らしかったですね。

 箱根予選は、小島・武川選手がともに故障でエントリー漏れ。ピンチの中、一つ上のエース選手の走り、さらに前年も箱根予選に出場していた川田・吉本選手が二けた順位で走り切り、成長を示しました。吉本選手は、その後の全日本駅伝あ8区でも好走していて、新エースと話題になりました。

 箱根本選では、序盤で遅れる展開でしたが、何とか走れるようになった3区武川選手が区間10位と踏ん張って反撃開始。5区山登りの吉本選手が本領発揮して、下位の流れ区間10位好走。復路では、悪条件に強いという中島選手が、10区で区間8位!総合16位も随所随所で粘りは見せていました。

 最終学年、春はまだ武川・小島選手が復帰できず。川田選手もなし、。そんな中迎えた全日本予選では、吉本選手が暑かった1組で奮闘、さらに2組3組は新戦力の前田・松島選手が組上位に入って、通過ラインに食い込みました。

 なお、ほかにも、関東ICハーフでは、鞍野選手や荻沼選手が出走、米山選手が持ちタイム上位では変わらないくらいまで伸びてきて、この世代が充実していました。

 迎えた箱根予選、武川・吉本・中島選手がいませんでしたが、小島選手が1年以上ブランクを経て復帰、川田選手も10か月ぶりの出走でした。状況を見て、5㎞以降にぐっとペースアップし、出場権内に入りますが、

 多くの選手が15㎞からペースダウン。上位にいた小島選手136位に。あとは川田選手74位、松島選手が98位、荻沼選手127位、前田選手201位と何とかまとめましたが、上位で稼ぐ選手が少なく予選敗退になりました。

 出場権があった全日本大学駅伝では、小島選手が1区6位と意地の好発進。また4区松島・5区川田・6区前田・7区荻沼選手と4年生リレー。川田選手の区間7位の好走があり、シード権争いに結構終盤まで絡む頑張りがありました。

 その後の記録会、駅伝に出場できなかった鞍野選手が、終盤まで単独トップを走る激走。29分18秒のベスト、米山選手も29分22秒で続きました。その後の組で前田選手が28分51秒と1分近くベストを更新し28分台!エース小島選手も1年時以来ベストとなる28分23秒!育成で上がってはこれてるのですよね…。

 小島選手はツイッターでいったん引退宣言をしていましたが、川田選手とともに埼玉医科大ACへ、武川選手がトーエネック、松島・吉本選手も続けるようですし、まだまだかれらの反骨心が楽しみです。

中央大学

高2:箱根15位
高3:箱根11位、予選8位
大1:箱根12位、予選10位
大2:箱根12位、予選2位
大3:箱根6位、全日本8位、予選2位
大4:箱根2位、全日本7位、出雲2位

 激動の4年間となったのではないでしょうか。この世代が、高校生の時は、連続出場が途切れたショックから立ち直って、再びシード権獲得に向けて、懸命に強化する最中で中央大に入学したことになります。

 1年時2年時は、2年連続で箱根駅伝では総合12位。もう少しでシード権の壁を突破できない状況でした。それが3年時に、久々の全日本大学駅伝出場権を獲得して、いきなりシード権獲得。箱根駅伝も、鬼門だった往路を一桁で折り返すと、得意の復路で総合3位争いをしての6位。10年ぶりシード権獲得でした。

 ここから一気に強化が進みました。下級生の有力選手も多くなった中、この世代もいぶし銀の活躍。久々出場の出雲駅伝で、2位表彰台。調子が落ちた全日本駅伝は7位になるも、箱根駅伝では終盤まで優勝争いをしての総合2位。強豪校に駆け上がっていく中、支えた世代です。

千守倫央④28分15秒40
≪23箱7区4位、22全1区3位、出2区3位、関東IC1500m8位、21箱1区17位、20箱1区16位≫ ⇒ 大塚製薬
若林陽大④28分42秒02
≪23箱6区2位、22全5区6位、関東IC1万m14位、箱6区5位、21箱6区5位、20:箱6区10位≫ ⇒ 花王
助川拓海④28分49秒58≪23箱10区3位、22関東IChalf11位、21全4区13位≫ ⇒ 安川電機
中澤雄大④29分00秒40
≪23箱8区7位、22全4区8位、箱8区3位、21全7区8位、予40位、箱7区5位、20予58位≫
田井野悠介④29分34秒90≪21予61位≫
梶山林太郎④29分38秒30 ⇒ 中電工
小木曽竜盛④29分47秒23
小林龍太④29分56秒90

 最初の戦力になったのは、千守選手になりますね。箱根駅伝でいきなり1区抜擢になり、中央大ファンも驚いたのではないでしょうか。区間記録に近いペースで進む集団に、さすがに付けませんでしたが、大崩れせず区間16位。

 また、山下りには若林選手が登場。59分25秒の区間10位で走り、山下りは4年間安泰なのではといわれるほどの走り。チームも総合12位ということもあり、次こそシード権への収穫になったのではといわれていました。

 2年時になって台頭してきたのは中澤選手。学内のロードレースで上位に入り秘密兵器となっていました。箱根予選は、彼だけが出走なりましたが、58位とまずまず。予選2位通過に貢献。その後、故障していた千守選手が1万m28分15秒の好記録!シード権に向けて、士気が上がっていました。

 でしたが、2年連続1区千守選手が、浮き沈み激しいペースにつききれず、区間17位。躓いてしまい、往路19位へ…。吹っ切れた復路は6区若林選手が区間5位、7区中澤選手が区間4位。復路3位で総合12位にまで追い上げました。とはいえ、課題がはっきりした年でした。

 3年時になって千守選手が怪我で長期離脱となりますが、若林選手が1万m28分台を出すなど充実。さらに全日本予選では、若林選手に、同じく記録会で1万m28分台を出していた助川選手が戦力になり、見事に通過。久々に出場を果たします。

 箱根予選では、中澤・助川選手だけでなく田井野選手も出走。3人とも二けた順位で走り切り、2位通過に貢献。さらに全日本駅伝では助川選手4区で中澤選手が7区。中澤選手が好走しシード権内に浮上、総合8位で歓喜のゴールとなりました。

 箱根駅伝では、往路6位でフィニッシュ。3年連続6区山下りの若林選手が区間5位、8区となった中澤選手が区間3位好走。この時点で総合3位争いにまで浮上していました。最終的に6位になるも、10年ぶりシード権に、翌年の飛躍を予感させました。

 そして、最終年。千守選手が怪我から復帰し、関東IC1500mで8位入賞。その後、徐々に長い距離でも結果を出します。秋を超え、出雲駅伝では、千守選手が最短区間2区でトップでタスキを受けます。首位を譲るも安定した走りで区間3位。総合2位にゴールとなりましたが、いい流れを作りました。

 全日本駅伝は、チーム全体の調子が落ちている中でしたが、初の平地駅伝となった若林選手が5区6位と好走。シード権がかかる中で、8区中澤選手も、何とか区間7位。シード権は確保しました。

 そして、不調だった主力が戻った箱根駅伝。往路3年生以下のエース選手が奮闘し、往路2位でゴール。復路は、総合優勝をかけて、この世代が4人並びました。

 4年連続山下りとなった若林選手が区間2位好走。7区に回ったスピードランナー千守選手が区間4位、2年連続8区中沢選手が区間5位。懸命に前を追いかけますが、総合優勝はやや厳しい状況に。

 そんな中、アンカーでタスキを受けたのが助川選手。上尾ハーフで、同級生の田井野選手とともに62分半ば。そこからメンバー争いを制した中での初の箱根路。彼の思いを背負って、走り抜け、区間3位の好走。4人の4年生が懸命にトップを負った中での準優勝でした。

 また、メンバーに絡めなかった中で、小木曽選手のことも忘れてはなりません。韮山高時代に、1万m29分台を出して、高校駅伝にも出場。鳴り物入りで中央大に入学して、実は一番期待をされたくらいでした。

 でしたが、入学直後に故障。その後は、復帰に焦って故障を繰り返してしまう負の連鎖に陥ってしまい、メンバー争いはおろか、高校時代のベストも更新できませんでした。

 そんな中、12月末に1万mの記録会に標準を絞って練習。白地に赤のCマーク、中央大の伝統のユニフォームをつけて出場。29分47秒と、4年ぶりに自己ベストを出して競技生活を終了。本当に良かったなと思いますね。

 実業団には、千守・若林・助川選手が続ける一方、中澤・田井野選手は現役引退。もう一人、高校時代の実力者梶山選手は続けます。実業団で華を咲かせられるか注目ですね。

早稲田大学

高2:箱根3位
高3:箱根12位、全日本15位、出雲10位
大1:箱根7位、全日本6位、予選9位
大2:箱根6位、全日本5位
大3:箱根13位、全日本6位、出雲6位
大4:箱根6位、全日本6位、予選4位

 早稲田大は、この数年はシード権に行ったり来たりと、中々高速化の波に翻弄されていた形でした。スポーツ推薦組は、2年連続箱根3位の早稲田に勧誘を受け入部を決めるも、直前の全日本・箱根駅伝でシード権を逃して、予選会からのチームでした。

 予選会から参加して、全日本・箱根ともにシード権獲得。2年時もまずまず。当時の4年生に主力が集まり、三大駅伝優勝を目標を掲げた3年時は、出雲6位全日本6位。煮え切らないまま迎えた箱根駅伝は、まさかの13位。シード権落ちでした。

 4年時、春になって相良監督から花田監督に交代。長い距離の練習と故障を減らすといのを徹底。秋以降は非常に安定した成績、もちろんこの世代も貢献しています。

井川龍人④27分59秒74≪23箱3区2位、22全2区6位、予9位、関東IC1万m2位、箱1区16位、21箱1区5位、20箱3区14位≫ ⇒ 旭化成
鈴木創士④28分26秒41≪23箱7区12位、22予17位、箱7区5位、21全7区5位、箱4区3位、20箱7区2位≫ ⇒ 安川電機
安田博登④29分21秒09≪22予217位、21:関東IChalf15位≫
小指卓也④29分42秒82≪22全5区11位、21箱9区4位≫ ⇒ SUBARU
白井航平④30分16秒71

 スポーツ推薦として入学したのは、井川・鈴木・小指選手。全日本予選で早速顔をそろえ、小指選手1組10位、鈴木選手2組1位、井川選手3組12位と、早速結果を残しました。ただ、その後小指選手が故障がちになり、井川・鈴木選手が中心となっていきます。

 箱根予選は、酷暑の予選で、チーム全体が対応できずまさかの9位通過。1週間後に行われた全日本駅伝では、井川選手が1区、鈴木選手が6区を担い、シード権獲得に貢献します。

 箱根駅伝は、上級生の頑張りで2区までトップ争い。3区井川選手が突っ込んで入ってしまい区間14位と後退。終盤に同世代の駒大の選手に抜かれたところ、後々の闘争心につながります。その後、山で苦戦し一時順位が下降したところ、7区鈴木選手が区間2位激走!見事にシード権を獲得します。

 2年時は井川選手が飛躍。全日本は2区、箱根は1区で区間上位。これ以降前半区間で欠かせない存在になっていきます。鈴木選手は前半戦絶不調でしたが、秋になって復調、全日本7区で復帰すると、その後1万m28分26秒ベスト、箱根は往路4区で区間3位!時期エースと言える走りでした。

 また、故障が多かった小指選手が、11月に5千m13分40秒台を記録。そこから、驚異の調整で復路9区に間に合わせました。スタミナの不安もなんのその、区間4位の好走で、シード権獲得6位に貢献。主要大会で3人がそろったのは、これが最後になりましたね。

 3年時は、春に井川選手が27分59秒74!当時の4年生2人に続き、同じ大学駅伝チームで27分台が3名と、初めての出来事が起こりました。その後、井川選手も日本選手権に出走したりと、トラックで早大長距離が盛り上がりました。

 優勝を狙った三大駅伝。井川選手が不調に陥っていましたが、出雲・全日本ともに2区、鈴木選手は全日本7区出走しましたが、ともに総合6位。

 箱根駅伝は、絶不調となっていた井川選手が1区16位に遅れると、シード権外のレース。2度目の7区となった鈴木選手も気負いで区間5位で追い上げきれず。まさかのシード権落ち…。失意の中で、最後の学年を迎えます。

 そんな中、監督も変わり、練習メニューも変わり、少しずつチームは上昇。夏前には井川選手が、ホクレンで実業団選手とマッチレースを繰り広げられるくらいにまで復調。また、一般入試からも安田選手がレギュラー候補に挙がってきます。

 ある程度自信をもって臨んだ箱根予選。7割ほどの状態だったという井川選手が日本人トップ集団で戦い抜いて、日本人2番手の9位。次の集団で走っていた鈴木選手も17位。チームをけん引します。安田選手は217位と苦しい走り。その後、新型コロナにかかり、駅伝は残念ながら走れませんでした。

 全日本駅伝は、井川選手が疲れが残りながらも他にいないということで2区。また、小指選手が何とか復帰して5区出走。それぞれもう少しでしたが、総合6位。全日本駅伝は4年連続でシード権を獲得しましたね。

 迎えた箱根本選。井川選手が、兼ねてから向いていると希望していた3区。1年時序盤突っ込んだ経験をうまく生かして、中盤以降に大幅順位アップ。15位でタスキを受けて、6位まで浮上。区間2位の快走で、一気にチームを流れに乗せました。

 また、復路では鈴木選手が3度目の7区出走。箱根予選後に、疲労骨折をして、本調子には程遠い中でした。総合3位でタスキをもらい、後方に追いつかれるも懸命の粘り。流れはつないだまま、後輩に託しました。4年生として、何とかシード権をプレゼントして、卒業の流れに。

 井川選手は、古豪の旭化成、鈴木選手は同じ九州地区の安川電機、復活しかっかっていた小指選手はSUBARUで競技を続けます。少数精鋭だった、この世代のそれぞれが楽しみですね。