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【電撃引退宣言!マラソンランナー大迫傑選手とは】東京五輪2020陸上競技出場

東京五輪2020が熱い!

コロナ禍による制限や無観客であったり、少し寂しさを最初は感じましたが、
各競技で白熱した戦いが繰り広げられていますね。

陸上競技も開幕!
複数の種目で日本記録や、過去最高位更新がありましたね!競歩のメダルはさすがです。

駆け足気味にはなりますが、
男子長距離の東京五輪出場者について、簡単に紹介したいと思います。

今回は、
まさかの東京五輪マラソンが現役ラストランとなる
大迫 傑選手の紹介です!

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【マラソンランナー大迫傑選手とは】東京五輪2020陸上競技出場

【プロフィール】
生年月日:1991年5月23日
出身地:東京都町田市
出身高校:長野県佐久長聖高
出身大学:早稲田大
現在の所属:ナイキ
身長:170㎝
体重:52㎏

【自己ベスト】
1500m3分40秒49
5000m7分40秒09(日本記録)
10000m13分08秒40(日本記録)
ハーフマラソン1時間1分01秒
マラソン2時間5分29秒(日本歴代2位)

 3人兄弟で兄と弟がいます。2種目トラックで日本記録、かたやフルマラソンでも日本歴代2位の記録…。日本長距離界屈指の名ランナーです。

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中学校時代まで~陸上部を立ち上げる

 小学校時代から、色んな競技に取り組んだそうです。少年野球をやっていて、セカンドがポジションだったそうです。水泳も習い、身体を動かすのは好きだったそうです。

 そんな中、地元で行われる町田市マラソン大会に出場し、優勝を果たします。2000mや3000mを先頭で駆け抜け、陸上やりたいという気持ちが強くなります。

 進学した金井中学校では、陸上部はなかったものの、陸上長距離への気持ちは揺るぎませんでした。クラブチームに入ったり、他校の練習に参加したりと、熱意を持って取り組みます。

 2年時、両親の協力もあり、金井中学校に正式に陸上部が立ち上がり、今まで以上に競技に集中できる環境が整いました。3年時に全国の舞台へ。3000mで8分41秒59のタイムで3位に入っています。

佐久長聖高時代~高校駅伝優勝V

 高校は、名門佐久長聖高校へ。両角監督(当時)指導の下、メキメキと力をつけてきました。高校2年時に、5000m13分台をマーク。当時としては史上4人目の快挙でした。

 暮れの高校駅伝では、自ら志願しアンカーを務め、区間賞の走りで同高初の総合優勝のゴールテープを切ります。チームも、留学生を含まない記録して、過去最速の2時間2分18秒を記録しました(2020年洛南高校が更新)。

 3年時の高校駅伝では、エース区間といわれる1区を担当しました。当時としては、日本歴代2位となる29分06秒をマークしています。厚底シューズが流行るかなり前だからこそ価値がある記録ですね。

 このころには、つま先からつけるフォアフット走法がある程度確立していました。日本人離れしたバネのある走りで、かなり将来を期待された存在でした。

早稲田大時代~箱根1区飛び出し、世界へ準備

 そんな大迫選手ですが、早稲田大進学直後に挫折を味わいます。7月に行われた世界ジュニア選手権10000mに出場。8位入賞を果たしたものの、初めて周回遅れを経験します。「駅伝なんてやっている場合じゃない」こんな思いも抱きました。

 とはいえ、箱根駅伝など三大駅伝の歴史が深い早稲田大学。1年時からフル出場を果たします。初出走の出雲駅伝2区は故障明け、トップを保つも、納得のいかない走りに悔しさを露わに!

 (ユニフォームを破ったのはお咎めが入ったそうですが、)この気持ちを忘れずに挑んだ全日本駅伝は2区区間賞で優勝に貢献。ハーフマラソンで61分47秒のジュニア日本歴代10位を叩き出したのち、最初の箱根駅伝を迎えます。

 チーム初の3冠がかかる中、出だしの1区。最初の1㎞で集団から飛び出すと、独走で区間賞!最大のライバル東洋大に2分差をつける鮮烈な走り。流れに乗ったチームは、総合優勝し大学駅伝3冠達成!タイムも初めて10時間台で、その後の長距離の高速化の第一歩ともなっているのですよね。

 その後も駅伝で活躍は勿論、個人の高みもどんどん目指していきます。3年時には、2012年日本選手権10000mでロンドン五輪代表にチャレンジ。ただ、高校の先輩である佐藤悠基選手にあと僅か届かず2着。トラックに拳を叩きつけて悔しがる姿もまた印象的でした。

 一転、7月に行われたユニバーシアード10000mでは、見事に金メダル!この種目を日本人が制するのは16年ぶりのことでした。さらに4年時の春は、アメリカのナイキオレゴンプロジェクトへの入部テストとして参加した、

 カーディナル招待で、日本人学生最高記録となる27分38秒31(日本歴代4位)を叩き出し、一挙日本を代表とするランナーに。アジア人として初めて、ナイキオレゴンプロジェクト入部を認められました。

 なお、4年生時は、早稲田大競争部の主将の役目も束ねていました。直後に行われる関東インカレも絶対に結果を残さなければならない状況。最終日の5000mに合わせて、留学生の間に入り見事に2位。役割を果たしました。

 さらに、本来なら箱根駅伝へ向けての調整に入る11月下旬に、5000m記録会に出場し13分20秒の自己ベストをマーク。さらにアメリカに渡って、オレゴンPで、スピードを強化。日本学生界の常識としては、破天荒なやり方でした。

 そして、帰国直後の最後の箱根駅伝は3度目の1区。チーム事情で、中位~下位校を突き放すため、中盤過ぎまで先頭を引っ張った結果区間5位。とはいえ、3度目の1区で最速のタイムで駆け抜けました。

プロランナー(トラック時代)~3000m・5000m日本新も

 オレゴンプロジェクトに所属しながらも、日清食品Gにも籍を置く二重契約で、大学卒業後の1年がスタートします。トラックの強化が実り、アジア競技大会1万mで銀メダル、その後3000mで7分40秒09の日本記録を達成します。

 年明けはニューイヤー駅伝に出場。1区を任され、ラスト1㎞からのロングスパートで他の選手を圧倒したのは、鮮明に記憶に残っていることです。なお、個人種目に専念するために、3月末で日清食品Gを退社。これが最初で最後のNY駅伝で…最後の駅伝出場になるのですね…。

 2015年は、夏前に1万mと5千mで日本記録に挑戦!5千mで13分08秒40で6年ぶり日本記録更新!2種目で記録保持者になりました。この勢いで参加した世界陸上では、5000m予選最後まで上位集団で粘るも、決勝ラインに0秒41届かない惜敗。ここ近年で、男子長距離のトラックで、最も世界に近づいた瞬間でした。

 2016年は、日本選手権で5000m&10000mの2冠達成。リオデジャネイロオリンピックにも出場しますが、10000mは17位、5000mは残り1周で上位争いから脱落して予選落ち。やはり世界は遠いです。

プロランナー(マラソン時代)~マラソン2度日本記録更新!

 2017年に転機が訪れます。4月ボストンマラソンで、フルマラソン初挑戦!スローペースからの後半上がる展開にしっかりついていき、2時間10分28秒のタイムで3位表彰台!これはマラソンでいけそう!そんな空気が漂い始めます。

 6月の日本選手権10000m連覇し、7月にホクレン世界陸上標準切りチャレンジ。日は沈んでいましたが、気温30℃近く湿度75%の過酷な環境。結果、標準記録に1.64秒届かない、27分46秒64。ただ、日本人では断トツで最速の記録に、強さを感じました。

 そして12月に行われた福岡国際マラソンで2度目のフルマラソン挑戦。終盤まで先頭争いをしながら3位!2時間7分19秒で当時の日本歴代5位のタイムで走破、マラソンで世界と戦う、そんな雰囲気を大迫選手だけでなく、日本長距離界に影響を与えた場面でした。

 MGCへの過程への最中で出場したシカゴマラソン2018では、2時間5分50秒で当時の日本新記録を樹立!日本陸連より、報奨金1億円を手にして一躍時の人となりました。

 順調に思われたマラソンへの強化ですが、2位以内に入れば東京五輪2020に内定するMGCでは悔しさを味わいます。レースは、設楽選手が独走になり、大集団の大迫選手の動きに注目が集まりました。

 他のライバル選手の仕掛けに対応するなどで思ったよりもスタミナを消耗。勝負どころの38㎞で中村選手の仕掛けを許すと、最後に服部選手にも交わされ3着。日本記録保持者として、なんとも言い難い悔しさを味わいます。

 あとは2019年度の国内の指定マラソンで、大迫選手の記録(日本記録)を超える選手が出なければ内定というなんとも微妙な立場。記録を狙った東京マラソン2020で、

 2時間5分29秒で2度目の日本記録更新!30㎞過ぎ鮮やかに集団を抜き去ったシーンは、やっぱり大迫選手は強いと思わせるレースでした。見事五輪内定!プレッシャーから解放され、インタビューでは目に光るものがありました。報奨金1億円ももう一度ゲットしました。

 その後、マラソン王国ケニアの高地合宿を長期にわたり敢行、東京マラソンに向け走力アップを図りました。2020年末には、トラック1万m27分台で走った直後、練習用シューズに履き替え再度1万m記録!懸命に29分少しで走り切る、凄まじい練習記録会を行ったりもしました。

 そして…東京五輪が開催された間もなくのこと、大迫選手本人のTwitterにて、「すべてを出し切りたいため、東京五輪のマラソンをラストランとしたい」と電撃の引退発表。

 びっくりしましたし、とても寂しいです。まだまだ、走りで日本長距離界を引っ張り続けると思っていただけに、ショックですが、東京五輪へ向けての本人の強い覚悟を感じます。

【大迫傑選手まとめ】東京五輪に向けて

 日本国内では、間違いなく長距離のセンスの塊です。ところどころ挫折を味わうも、それを糧とするセンスも抜群です。

 そして、最近では、子供たちや市民ランナーに、ランニング教室を開く場面も増えていました。

 この東京五輪2020マラソンも、その後も長く日本陸上界を率いていくに違いないと思います。

まずは、彼の走りでの、世界への最後の挑戦を、テレビの前で見届けたいです。