東京五輪が始まりましたね。
コロナ禍による制限や無観客であったり、少し寂しさを最初は感じましたが、
各競技で白熱した戦いが繰り広げられていますね。
陸上競技も間もなく開幕します。
特に応援している男子長距離陣営も、例年以上に盛り上がる…と信じしています。
駆け足気味にはなりますが、
男子長距離の東京五輪出場者について、簡単に紹介したいと思います。
今回は、男子10000m決勝に出場する相澤晃選手と伊藤達彦選手です。
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【プロフィール】
生年月日:1997年7月18日
出身地:福島県須賀川市
出身高校:学法石川高
出身大学:東洋大
現在の所属:旭化成
身長:178㎝
体重:62㎏
【自己ベスト】
3000m:7分49秒66
5000m:13分29秒47
10000m:27分18秒75(日本記録)
ハーフマラソン:61分45秒
福島県須賀川市と言えば・・・
福島県須賀川市出身といえば、陸上長距離ファンとしては、どうしても思い出す選手がいます。1964年東京五輪マラソン代表で銅メダルを獲得した円谷幸吉さん。
実は円谷さん、あまり知られていませんが、10000mにも出場し6位入賞を果たしています。
その円谷さんと、同じ市出身の長距離ランナーが、2020年東京五輪10000m代表になるとは、なんという運命でしょうか。
相澤選手は小学3年生の時から陸上を始めています。、中学時代には、その当時に設立された『円谷ランナーズ』にも所属、同期にのちに明治大で活躍する阿部選手もおり、いいライバルもいました。
そんな環境で早い段階で全国大会を経験。全中3000mで10位の成績、都道府県対抗駅伝で2区9位の成績を残しています。
高校は陸上長距離の強豪校の一つ、学法石川高に進学。なお、同期の阿部選手も一緒に進学しています。田母神選手もいました。一学年下には、現住友電工の遠藤日向選手もいて、強い世代でに揉まれます。
怪我がかなり多かったそうですが、その中でトラック5000m13分54秒と世代トップのタイムを出しているので、素質は本当に高いものがありましたね。
ただ、インターハイには怪我で出場できず。駅伝は何度も出場しているものの、主要区間で区間10位台にとどまっていました。
そのやや苦手だったロード・駅伝が、東洋大の元で大活躍をするまでになったのですよね。故障が多かったのを、東洋大で行われている体幹トレーニングを通じて、故障しにくい肉体に!トレーニングで質量追い込めるようになりました。
2年秋に素質が開花!2年時の全日本大学駅伝で1区区間賞を獲得!その勢いのまま挑んだ初の箱根駅伝は、いきなり華の2区!トップでタスキをもらうと、青学大らの追走を許さない走りで区間3位の活躍!チームの往路優勝に貢献します。
そして3年時の箱根駅伝でビッグラン!直前の足の痛みで2区を回避する形で4区になったものの、当日は絶好調!
一気に後続を引き離すと、参考ながら20年前の駒大藤田選手の記録をも上回る物凄い区間新記録をマーク!日本学生長距離界のトップ以上の存在にまで駆け上がります。
その直後に行われた都道府県対抗駅伝では、福島県アンカーを任され区間賞!そして初優勝のゴールテープを切っています。これは地元への大きな恩返しでした。
4年生になる直前の3月、日本学生ハーフを制して、ユニバーハーフ代表の座を射止めると、本番でもしっかり優勝して金メダルを獲得!出雲・全日本駅伝で連続で区間新記録を樹立し、さらにパワーアップ!
最後の箱根駅伝は再びエース区間2区。後方からの追い上げになりましたが、東国大の伊藤選手らとデットヒートを繰り広げます。
そのデットヒートは、とんでもない区間新記録を生み出します。日本人はおろか、留学生でも到達したことのない65分台の領域の到達!日本長距離界のエース候補となっていました。
実業団は、大名門の旭化成へ。当初は、入社直後に予定されていた東京五輪を狙っていたものの、怪我などもあり断念。さらにコロナ禍で大会自体が延期に…。
とはいえ、当時の自己ベストが28分17秒81。五輪の参加標準記録(27分28秒00)も、日本選手権の標準記録も資格期間内で突破しておらず、相澤選手にはある意味朗報でした。
2020年10月に27分55秒76を記録し、12月日本選手権へ。そこでPMの留学生選手にしっかりと食らいつき、27分18秒75と日本新記録を樹立して優勝!文句なしで五輪内定を勝ち取りました。
その後、疲れも出たか怪我に見舞われ、2021年正月の実業団駅伝は欠場。それでも春先5000mで13分29秒47の自己ベスト!6月日本選手権でも攻めた中4位。上り調子で五輪を迎えます。
【プロフィール】
生年月日:1998年3月23日
出身地:静岡県
出身高校:浜松商
出身大学:東京国際大学
現在の所属:Honda
身長:170㎝
体重:52㎏
【自己ベスト】
5000m:13分33秒58
10000m:27分25秒73
ハーフマラソン:61分52秒
大学から急成長した選手です。
中学時代まではサッカー部、浜松商業高校に進んでから陸上を始めています。
高校当初は目立った成績は残せなかった伊藤選手。夏場に弱く、練習後に倒れこむことも結構あったそうです。
それでも高校3年には、5000m14分33秒まで実力を伸ばして、県高校駅伝はエース区間1区出走するまでになります。
ただ、浜松日体大など他の高校にはかなわず、全国の舞台には手が届きませんでした。
大学は、東京国際大学に進学。伊東選手の入学する直前の箱根駅伝に初出場をしている、箱根駅伝校では新しいチームでした。
実は、高校2年冬までは、大学で陸上を続けるつもりはなく、就職するか、調理師専門学校に進学する予定でした。
そんな伊藤選手に声をかけたのは、東国大大志田監督。他の選手を狙っていたそうですが、練習やレースで限界まで追い込めるところに魅力を感じたそうです。
1年時からチーム内のレギュラーをつかみ取ると、2年時になってぐっと力を伸ばしてきます。箱根予選でチーム2度目の予選突破に貢献すると、本戦では華の2区に登場します。
単独最下位で襷をもらい、ずっと一人旅の中、70分16秒のタイムで区間15位。当時の実績からすると、健闘でした。そして、このまま3年連続で華の2区を駆け抜けます。
3年時は、混戦の中上位で襷をもらう展開。中盤過ぎまで強豪校エース相手に食い下がり、68分36秒のタイムで区間11位。確実に力をつけていました。
ここから成長の速度が一気に加速します。3月日本学生ハーフでは、東洋相澤選手らに続き、3位に食い込み、ユニバーハーフの代表の座を射止めます。
4年時夏に行われた、そのユニバーハーフではしっかり銅メダル。夏の弱さは、もう改善されていました。
覚醒したのが秋に行われた全日本大学駅伝。2区に登場すると、14位から一気にトップに立つ大激走!駅伝ファンもびっくりする走りでした。チームも初出場初シード権を獲得します。
そして、多くの駅伝ファン話題になった、最後の箱根2区。6㎞あたりで、追いついてきた東洋相澤選手に食らいつくと、そこから15㎞近く並走しながら順位アップ!
相澤選手の方が格上と思われた中、苦しい表情ながらも引き離されず、逆に仕掛けて前に出る場面もあったり、大きな見せ場に。駅伝ファンから”ランウェイ”や”ランニングデート”と大いに話題になりました。
最後はさすがに引き離されるも、相澤選手に続く66分18秒区間2位タイの激走には、誰もが驚き感動した場面でした。
そして…さらに驚くべきことは、2人の”ランウェイ”がまだまだ続いていくことになったことです。
コロナ禍もあり、実業団Hondaでのデビューは7月へ。10000m27分58秒43、5000m13分33秒97の自己ベストを出します。
12月日本選手権は10000mで出場。日本記録を超える高速レースにも怯みません。一番苦しい8000m~9000m付近では、なんと所属旭化成となった相澤選手と、日本人トップ争いでのマッチレース!
箱根駅伝から、レベルが高い舞台で、しかも1年も経たないところで、また”ランウェイ”が見られたことに、また大いに注目が集まった場面です。
最後はまた競り負けるも、五輪標準を突破する27分25秒73のタイムを出します。この時点では、東京五輪の内定を勝ち取ることはできませんでした。
規定により、約半年後の21年5月日本選手権で3位以内に入れれば内定という条件に。ただ、伊藤選手に苦難が襲います。
正月のニューイヤー駅伝中に疲労骨折。そこから2か月間走れず、本格的な練習開始は、日本選手権2ヵ月前の3月。一時は諦めかけたそうです。
水泳やバイクなど懸命のリハビリで身体を戻し、4月には5000m13分45秒12で走破。スピードの戻りが早かったですね。
迎えた本番では、しっかりトップ集団をキープすると、残り700mから武器のスパートでしっかりトップに!27分33秒38の好タイムで五輪内定を掴みました。
”因縁”という言葉がとてもしっくりくるんですよね。
相澤選手は、東京五輪1964年陸上代表選手の円谷さんと同郷出身で、同じ種目に出場。しかも1年延期になったことで、同じ24歳だそうです。なんの因縁でしょうか。
そして同学年になる伊藤選手は、その相澤選手と以前から名勝負を何度も繰り広げているという因縁の相手です。
現実、今の10000mで五輪入賞には26分台の走力は不可欠ですので、入賞ラインとは差があるのですが、何かやってくれそうな雰囲気が漂っています。
本日、7月30日(金)20時30分より本番開始です!
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