【箱根駅伝2019】東海大学はなぜ初優勝できたのか!?~MVP小松陽平選手とは!?ポイント区間とは?

駅伝ファンの多くが喜びに沸きましたね!

箱根常連校の中では、最も地元の大学

もう15年ほど前から何度も優勝候補に上がりながらも、

中々届かなかった総合優勝に

第95回箱根駅伝記念大会でついに手が届きました。

その軌跡やポイントとなった点をまとめてみました。

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箱根駅伝2019東海大学を振り返る!

参照サイト:http://bunshun.jp/articles/-/10288

やはまずは、8区で首位を奪っただけでなく、22年ぶり区間記録を更新した3年生小松陽平選手にスポットライトを当てるべきですよね。

大学駅伝初出場の小松陽平選手とは!?

1997年11月2日生まれ、172㎝、54㎏
東海大学付属札幌高等学校出身ー東海大学3年

10000mベスト:28分35秒63(大学2年12月時)
ハーフベスト:63分07秒(大学3年11月時)

今回の箱根駅伝が、三大駅伝初出場でした。持っているタイムはかなり高いのですが、3年生を中心に非常に選手層が分厚い東海大の中ではなかなかレギュラー掴めなかったのですよね。

実際箱根ファンでも小松選手の出走予想を予想している方は少なく、

約255名中、12人。一番多い予想はスピードランナーの比較的出走が多い7区で6名
まったり大学駅伝様 より

だったのです。

昨年非常に悔しい思いをした一人

この小松選手を語るのには前回の箱根駅伝のメンバー争いをめぐるドラマから語らないとなりません。

昨年の箱根駅伝エントリー直前の記録会で、10000m28分35秒63の自己ベストをマーク。これは当時の東海大の中で五本の指に入る記録でした。

しかし、監督「長い距離の実績がないため」、16人のエントリーから外れました。確かにその1か月前のハーフではえんとりーに入る選手から1分ほど遅い64分半ばの記録でした。この悔しさから、3年時はより一層練習に励むようになります

ただ、いきなり上がってきたわけではないのですよね。関東インカレに選ばれたりはしものの結果はなかなかついてきませんでした。”練習番長”と言われることも何度もあったとか。

11月ハーフで長距離ロード克服

それでも11月のハーフで63分07秒と16人のメンバー入りできる記録を出して自信を深めたでしょうか。メンバーに入ってからも、調子が上がっていき、首脳陣から復路のメンバーの候補に名前が上がり始めました。

6区中島選手に脚の痛みが出た時期もあり、6区の準備もしたり、あとは10区の候補にも名前が挙がったとか。最終的に他の選手の兼ね合いもあり、8区出走が決まったそうです。

レースは、往路優勝の東洋大をどんどん追い上げ、小松選手にわたる時は僅か4秒差と眼前に迫っていました。この展開に両角監督は小松選手に「スーッと後ろにつけ」「そして自分のいけるタイミングで行け」という指示でした。

これは東洋大の選手にも聞こえてしまうということで、小松選手のタイミングに任せたそうですが、これが的中。小松選手は真後ろにつくと、たまに表情を確認しに横に出るのにとどめます。これにはわけがありました。

10000m持ちタイム
東海大・小松陽平③28分35秒63
東洋大・鈴木宗孝①29分17秒89

ハーフ持ちタイム
東洋大・鈴木宗孝①62分56秒
東海大・小松陽平③63分07秒
なお、どちらも2018年11月上尾ハーフ

スピード面では小松選手の方が有利でしたが、スタミナ面は1年生ながら鈴木選手も負けていなかったのですよね。小松選手が持ち前のスピードを生かすためには、

何度か東洋大の選手の表情・フォームを確認すると、遊行寺坂の手前14.6㎞地点で初めて前に出ると満を持してスパート!颯爽と遊行寺坂を駆けあがると、最後までスピードを緩めずに51秒のリードを広げました。

そして気づいたら63分51秒、まさか1997年箱根駅伝最古の区間記録を更新!記録ラッシュに相次いだ箱根駅伝2019において、最大のサプライズだったと思います。

1年前の悔しさから、巨大戦力の東海大で10枠をつかみ取った小松選手に大変な力が備わっていたということなのでしょうね!まさにシンデレラボーイ!見事なMVPでした。

全区間ほぼノーミス~速さを強さに

勿論、小松選手だけではありません。年間通じての東海大長距離ブロックの努力も凄かったです。

「本気で箱根制覇」夏合宿で故障者続出したものの

過去5年箱根駅伝成績

箱根駅伝2014:13位
箱根駅伝2015:6位
箱根駅伝2016:5位
箱根駅伝2017:10位
箱根駅伝2018:5位

優勝候補には何度か上がりつつも、実際優勝争いに中々絡むことが出来ていなかったのですよね。もし今回3位以内に入れれば、それでも12年ぶりだったのです。

そんな東海大に2017年に多くの有力選手が入部。俄然優勝の声が上がったのですが、速さが中々強さとなりませんでした。

そんな東海大がまず転機となったのが、夏合宿で両角監督が「箱根優勝宣言」してから。更に11月全日本後も上尾ハーフ以降は試合出場しなかったこと。

東海大は駅伝だけでなく、1500m・3000m障害・5000m・10000mとトラック種目が得意な選手も非常に多いです。館澤選手なんかは1500mでアジア大会日本代表に選ばれるほどの実力者です。

そんな中、箱根優勝へ向けて本気の練習メニューを課したのです。ただ、夏に関してはロード型の選手はともかく、スピードランナーを中心にかなりの怪我人が出たそうです。

これに4年三上選手などが、両角監督にかなり盾突く状況にもなったとか…。このあたりはヒヤヒヤだったのですが、結果的には選手との距離が縮まって、選手に合うメニューが組まれることにもつながったそうです。

それでも11月以降のメニューは、館澤選手曰く「地獄のメニュー」だったそうです。本当は、この時期にトラックで記録を出して、日本選手権や関東インカレ標準記録を狙いたい選手もいたのですが、チーム一丸で乗り越えました。

そして両角監督も努力されていましたね。箱根の胴上げに向けて減量も行ったそうです。(そして、脚を痛めていじられて選手にいじられたとか??)チームの雰囲気は上がっていました。

全てハマった、山・主将・区間配置

迎えた箱根駅伝当日…全く持ってノーミスでしたね!

1区鬼塚選手がトップと8秒差の区間6位で滑り出すと、2区湯澤選手が4位集団に食いついて5位へ、更にまだまだ出入りが激しかった3区で西川選手が区間7位ながらも4位に浮上します。

ここから流れが加速し、4区館澤選手が区間2位の力走!トップと2分48秒ながら総合に2位に進出します。さらに2年間かけて山登りの準備をしてきた西田選手が区間2位の力走で1分14秒差まで追い詰めて往路を追えます。

復路、勝負区間の6区7区がバッチリきまりました。中島選手が58分07秒の非常に好タイムの区間2位で好発進すると、7区阪口選手ですね。前回華の2区を走った実力者。故障明けということでここに回りましたが、やはり速い。1分08秒あったトップとの差を4秒差にまで追い上げました。

そして8区で前述通りトップに経つと、全日本勝負所で2位に落ち悔しい思いをした湊谷主将が、今度は2位との差を3分半以上に広げ優勝を決定づける走り!10区郡司選手が得意の長距離で手堅く走りました。

往路3区間は上位で離されないように食らいつき、4区から9区は、8区区間賞で他は全て区間2位、10区も区間3位。ほとんどノーミス。他の2強がミスが出た中で、走った選手全員が力を出しました。

なぜほぼノーミスだったのか

全部良かったのですが、あえてポイントになった区間を2区間あげます。

2区湯澤 舜選手で流れに乗った

スピードランナーが多いなか、総合力が求められる2区は、東海大にとって鬼門の区間でした。入ったのは初めての箱根駅伝になる4年生湯澤選手でした。持ちアイムや実績からすると、少し離されてもおかしくはりませんでした。

ただ、4年間かてロードで鍛えた選手は一味違いました。4位集団にひたすら食らいつくと、区間8位ながら68分05秒は立派にエース区間を攻略したタイム。トップとの差も42秒にとどめて、上位争いの流れに乗せたのは東海大にとって非常に大きかったと思います。

監督「7区終了時に追いつかなかったから」

そして4区で流れを作り、5区から怒涛の追い上げとなりましたが、7区終了時の展開が非常に良かったと監督はおっしゃっていましたね。

両角監督「阪口選手を応援しつつも、このまま追い抜かない方がいいのではないか」(スッキリより)

この発言はびっくりしました。普通に考えると、逆転。秒差ならすぐ追いつかれると思いますが、相手に脚を使わせるので、基本的には先手のはずです。ですが、真意はこうでした。

両角監督「自然に、東洋大の選手が前で走る展開になる」

先述の通り、小松選手は後ろで脚を溜めたかった。東洋大が最初から前であれば、後ろに付くだけでいい。小松選手が前だと、どこかで抜かせないといけない、しなければならない駆け引きが増えるということだったようですね。

このあたり、表面上で応援している私たち以上に駆け引きがあるんだなと感じました。


まだまだ語ることはありますが、それでも見事なレースだったと思います。
改めて、見事な初優勝でした!

hakonankit

箱根駅伝の魅力に3歳の頃から取りつかれ、今や全日本大学駅伝や出雲駅伝を含めた大学駅伝、その予選会。大学長距離界がとても大好きな人間です。ブログでは10年以上にわたり、追いかけています。