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【箱根駅伝第100回記念特集②】出場が1回のみのチームにまつわるお話

色々ありましたが、
ひとまず第100回記念箱根駅伝の要項が決まってきました。

あとは、箱根予選を経てカウントダウンになっていきますね。

各社新聞記者も、過去の箱根駅伝での様々な出来事をまとめていますよね。

 当サイトでも、簡単なデータまとめにはなりますが、

第100回の箱根駅伝を記念しての特集をしていきたいと思います。

前回は、歴代の出場上位をまとめましたが、

今回は。1度だけ箱根駅伝に出場したことがあるチームをまとめました。

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【箱根駅伝第100回記念特集②】出場が1回のみのチームにまつわるお話

関東地区5校の紹介と、記念枠で招待されたことのある他地区の2校の合計7校になります。

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成蹊大・埼玉大

第28回・総合14位成蹊大学15時間43分14秒
1区14位山岸常夫1時間33分27秒
2区14位村瀬信次1時間24分17秒
3区11位宮田 陸1時間29分16秒
4区14位黒宮一浩1時間52分44秒
5区14位佐藤一雄2時間22分35秒
(往路14位8時間42分19秒)
6区14位佐々木忠臣1時間41分02秒
7区13位斯波良夫1時間52分30秒
8区14位荒井友一1時間47分07秒
9区14位橋本 巌1時間40分16秒
10区14位井川舜喬1時間52分11秒
(復路14位8時間53分16秒)

 戦後初の箱根駅伝は1947年の第23回大会。そこから、そんなに時期が立ってない第28回に、出場の機会が訪れたのが成蹊大になるんですね。

 当時の資料は少ないですが、4年生の陸上部員の中に、「何か後世に記録を残したい」と強い欲望があり、「無謀な挑戦ではあるが、箱根駅伝を目標にした」そうです。

 陸上部員6名(勿論、長距離とは限らない)と、元部員2名、スキー部員2名を説得して、何とか10名かき集めて箱根参戦へ。

 力不足は否めず、1区で既に前のチームと15分差の最下位、5区山登りが厳しく、区間トップと50分遅れ。積雪で運営車が入らなかった中、5区走者の足取りが怪しくなり、道中に何度も転倒。やっとのことで、ゴールにたどり着いたそうです。

 最終的に、総合優勝した早稲田大と5時間、ブービーの大学ともおよそ2時間の大差をつけられての最下位でした。この頃はまた、出場希望チームは、全チーム参加できる時代でのことでした。

第35回・総合14位埼玉大13時間22分32秒
1区(22.3km)2位松村敏男④1時間12分21秒 2位
2区(21.2km)15位花輪仙造②1時間19分29秒 15位
3区(21.0km)13位宇田川武男③1時間16分48秒 15位
4区(21.0km)9位阿南秀雄③1時間12分45秒 15位
5区(25.1km)14位山村拓夫③1時間40分04秒 14位
(往路14位6時間41分27秒)
6区(25.1km)15位原 正③1時間21分43秒 15位
7区(21.0km)15位矢内 嚢②1時間18分23秒 14位
8区(22.1km)15位久保幸男①1時間22分43秒 14位
9区(21.2km)15位山井正己②1時間17分28秒 14位
10区(22.3km)15位西村鴨二①1時間20分48秒 14位
(復路15位6時間41分05秒)

 第33回大会から、正式に予選会が行われるようになりました。当時はシード校は10校で、予選枠は5校で合計15校の参加。当時は10マイルの上位10名の平均タイムでした。その2年度の、第35回大会の予選を埼玉大が突破しています。

 予選の順位は6位と、5位以内に入れませんでしたが、10マイル10名の平均が、60分を切っていたため、特例で出場を認められました。第78回大会まで、出場枠は、15枠で固定(記念大会を除く)だった中、唯一16枠目を勝ち取ったケースになります。

 本戦では、1区松村選手が区間2位快走、さらに4区も区間9位。往路14位でゴールすると、復路も区間最下位なく、最終的に総合14位と粘りました。予選から2つ順位をあげる健闘でした。

東京大学

第60回・東京大学12時間15分08秒
1区(21.8km)16位清水 明④69分22秒 16位
2区(22.7km)17位渡辺 史④76分38秒 17位
3区(22.2km)15位栗田晴彦③70分02秒 17位
4区(21.0km)16位渡辺典之④69分25秒 17位
5区(20.5km)16位半田 禎④80分18秒 17位
(往路17位6時間05分45秒)
6区(20.5km)19位中村貴司④67分13秒 17位
7区(21.3km)19位真田弘幸①77分22秒 17位
8区(22.2km)20位清水 真②76分50秒 18位
9区(22.7km)14位武田政文②76分49秒 17位
10区(21.8km)14位太田丈児④71分09秒 17位
(復路18位6時間09分23秒)

 箱根駅伝の歴史を紐解いていく際に、みんなびっくりしたのではないでしょうか。国立大最難関の東京大が、一度チームとして箱根駅伝に出場しています。

 第60回記念大会ということで、出場枠が20に拡大していた時とはいえ、並大抵のことでありません。増枠を見込んで、1年留年した選手もいたそうですが、勿論それだけで出場できるものではありません。

 当時の東京大は、比較的陸上部が強く、関東インカレは1部に昇格していた頃。中長距離の部員もそろっていて、箱根駅伝を本格的に目指していました。とりわけ60回記念大会に標準を定め、この時の4年生が入学した時から、かなり箱根駅伝を意識していた練習を組み込んでいました。

 20㎞を走る練習なのですが、いつしか30㎞走る練習になっていたり。高地トレーニングができないかと、酸素マスクのついた重たい装置をかついで走ったり、日々のアップやクールダウンにも重点を置いたり、様々な工夫がなされました。

 また、箱根駅伝当日には、全員現地で箱根駅伝を見学。電車で乗り継ぎながら、全区間を見ていたそうです。区間のイメージを実際にしながら、「俺はこの区間を走りたい」など、箱根駅伝談議に花が咲いたそうです。

 勿論、当時の先輩たちは、自分が箱根駅伝を走ることができないのは、分かっていましたが、第60回記念大会に後輩たちが出場するのを託して、厳しいトレーニングを日々こなしていく土壌づくりを行ったそうです。

 そして迎えた60回予選会。この頃には、20㎞上位10名合計タイムにになっていました。11時間20分以内の上位11校が通過という条件の中、11時間02分の7位!堂々の通過でした。

 なお、この時、4年生エースの渡辺史選手は、予選会と就職活動の面接(NHK)の日程が重なってしまいましたが、交渉して予選会の翌日にしてもらった。そんなエピソードもあります。

 そして、迎えた本戦。1区から縦長の展開となりました。実は、当時の1区繰り上げスタートは5分!トップ日体大が64分11秒で駆け抜けて、約5分。東大1区走者の4年清水選手がやってきますが、ちょっと間に合わない差。

 すると、2区走者の渡辺史選手が、強い口調で役員に繰り上げストップを要請!トップ中継から5分11秒後に、襷を受け取って、2区を走りだしたとか。今だと失格ですが、まだテレビ中継がなかったこともあり、成立したそうですね。

 出走した10名の中で、一番異色の存在だったのは8区走者の2年清水選手。高校時代は将棋部だったそうです。でしたが、運動の方が自分は向いていると感じ、大学から陸上を開始。自信があったという持久力で、箱根路に出走したのですから、凄いこと。

 また、アンカー4年太田選手は、理科Ⅱ類と際立っての文武両道のランナー。4年生だったため、研究も非常に忙しく、本来なら正月も全て研究室に行かなければならない状況。

 箱根駅伝の知名度は、まだ無かったため、当然「箱根駅伝に出るから(要は部活動で)」では、休めなかった。体調面など、色々とうまく話をして何とか出場へ。見事、9区武田選手とともに、学内最高となる区間14位をマークしました。

 相好でも17位の健闘。この時の16位法大、18位に明大ら、運営管理者から「頭では勝てないんだから、せめて走りで勝ってくれ」と声が飛んでいたそうな。様々な逸話を残して、”真の文武両道チーム”は一度きりの箱根駅伝を終えています。

平成国際大学

第77回・総合13位11時間34分25秒
1区14位田村博史③66分47秒 14位
2区1位ジョン カーニー③67分43秒 6位
3区4位米山 宏④68分25秒 6位
4区2位フランシス ムヒア③66分51秒 4位
5区13位市川哲平④78分29秒 5位
(往路5位5時間48分15秒)
6区7位星野 寛③61分13秒 7位
7区14位吉野孝弘①67分26秒 8位
8区14位伊東永雄④71分19秒 12位
9区11位田島康幸②72分22秒 13位
10区9位橋本太一③73分50秒 13位
(復路14位5時間46分10秒)

 テレビ中継が始まり、さらに山梨学院大を始め留学生を獲得してチームを強化するなど、大きく流れが動いた最中です。第77回箱根駅伝予選会は、初出場が2校も生まれる大波乱があった回。

 この年はコースが変更。54回予選から、大井埠頭周回コースで行われていましたが、この77回から現在も行われている国営立川昭和記念公園コースに変更。苦しくなる15㎞以降にアップダウンがあるのに有名ですね。さらにこの年は、気温の高い昼の時間帯に行われていました。

 このため、前半から飛ばした常連校が、後半失速。後方でレースを進めていた國学院大が3位、平成国際大が6位と最後に浮上してくる展開になったのです。

 とりわけ話題になったのが、平成国際大。開校5年目での初の箱根路、さらにカーニー&ムヒアのW留学生が非常に強力。当時のルールでは、複数の留学生起用はOK。往路突進は間違いなく、シード権残れるかと、大きく注目を集めました。

 迎えた本戦。注目の留学生は、2区カーニー4区ムヒアに。1区は、日本人エース田村選手に。田村選手は、後に今は休部となっている八千代工業で、長く出力選手を務めることになるのですが、この時はまだ無名に近い存在。

  1km3分を切るペースに、3km手前で遅れだします。終盤に、失速した大東大を交わしますが、トップと3分、前のチームとも2分以上の大差の14位。やはり初出場には厳しいかと思われました。

 それをひっくり返したのが、大エースのカーニー選手。既に風が強く吹いている中、横浜駅前で早くもこぼれた選手を捉えると、次々に脚色が鈍った常連校のエース選手を捉えていきます。権太坂も、最後の坂も颯爽と駆け上がると、67分43秒で区間賞!8人抜きで6位まで、順位を上げました。

 向かい風の中、区間2位以下は69分前後。悪条件化での追い上げに、今でも個人的に最強レベルの留学生と数えてる一人です。

 さらに快進撃は続きます。3区米山選手が区間賞争いの走り!スタート時に、後方に上位候補の山学大や神大がいたため、追い付いてくることを想定した中継車が、

 米山選手についたため、風除けになったとも言われますが、それにしても会心の走り。区間4位の好走で、前を追い上げます。

 今度は、4区ムヒア選手に期待がかかります。2位争いの後方、200m付近に迫り、駅伝ファンを沸かせますか、それ以上はなかなか近づいて来ず。

 これはまた、ムヒア選手が追い付いてくる想定の中継車が、2位争いについたからだとも言われたり…。それでも自力はあり、区間2位の走りで、終盤に失速した選手を捉えて総合4位に浮上!平地の貯金は大きく、5区市川選手が区間13位ながらも、往路5位。十分に旋風を巻き起こしたと言える結果でした。

 復路は、6区山下りで、高校駅伝経験者の星野選手が、区間7位で下り、シード権逃げ切りの期待も高まりましたが、7区吉野8区伊東選手と連続で区間最下位。この2区間で、区間中位と7分以上かかってしまい、一気に総合13位へ。

 9区田嶋選手が区間11位、10区橋本選手が区間9位と、まずまず走れていただけに、悔しい結果だったのではないかと思います。留学生が3年生だったことから、翌年のリベンジも考えられましたが届かず。その後、チームとしての出場機会は訪れていません。

駿河台大学

第98回・総合19位11時間13分42秒
1区17位清野太成③63分20秒 17位
2区19位ジェームズ ブヌカ④70分19秒 19位
3区18位町田康誠③63分35秒 18位
4区20位今井隆生④66分58秒 20位
5区20位永井竜二③76分59秒 20位
(往路20位5時間41分11秒)

6区3位小泉 謙③58分47秒 20位
7区15位新山舜心②65分26秒 20位
8区15位出仙龍之介③66分56秒 20位
9区18位田尻 健④71分11秒 20位
10区7位阪本大貴④70分11秒 19位
(復路15位5時間32分11秒)

 おそらく、この頁から早く消えることを願っているだろう駿河台大。昨年の箱根駅伝に初出場、今年の箱根駅伝は予選通過ならず、だったのですよね。第100回大会に、2回目の出場をかけて臨むわけですが、ひとまずは初出場の振り返りを。

 第79回大会に、関東学生選抜が出来て、さらに新興勢力が増えてきていました。その最中、駿河台大が強化に取り組み、82回から予選に本格参戦します。しかし、初期はうまくいかず、87回予選は、強化していないチームにも敗れて最下位となるなど、苦戦を強いられていました。

 そんな中、呼ばれたのが、法政大時代に、実力もさることながら、茶髪とサングラスで一躍箱根路を彩った徳本一善氏。最下位の次の年度からコーチに就任、次の年には監督となっていました。

 強化しているにも関わらず、非強化チームに負けるチーム状態は、正直かなり悪く、部員たちは如何に監督の目を盗んでサボるかを考える状態だったそう。

 最初は、イタチごっこになってしまったところ、如何にヤル気を出してもらうか声掛けを考えたり、どうしても陸上以外をやりたい部員は、その道を進ませたり、少しずつ雰囲気を整えていきました。

 92回の学生連合で平賀選手が初出走すると、95回箱根予選には、留学生ブヌカ選手が初登場。このあたりから総合力が急激に上昇し始めます。

 96回予選で12位と、初めて掲示板にのると、97回予選では10kmまで出場圏内までつけての15位。確実に箱根との距離は、近づいていました。

 さらに、オールドルーキーと呼ばれた今井選手の加入も、話題になりました。高校時代まで陸上長距離部、大学時代はトライアスロン部に所属、その後、体育教師になり市民ランナーとして走る一方、教師として壁にぶつかったそうです。

 元々縁のあった徳本監督に相談した結果、駿河台大で2年間心理学を学ぶことになりました。また高校時代に一旦胸の奥にしまった箱根への想いが、ふつふつと沸いてきたそうです。

 全日本予選で次点になるなど、気運が高まった第98回箱根駅伝予選会、前半の貯金を今回は耐え凌いで7位で通過!歓喜の涙にくれました。

 迎えた本戦。往路は、強く1区を希望的していた3年清野選手が、大手町最初の曲がり角を先頭で通過、区間記録ペースの集団に10km近くまで食らいつく頑張りを見せ、18位でスタート

 上位を伺おうとするも、調子の上がっていなかった4区今井選手で最下位に落ち、往路は20位と、初出場の苦渋をなめることになりました。

 だが、見せ場はここから。密かに期待していた小泉選手が、6区山下りで58分台の区間4位激走!流れを作ると、以降も、他校と前後しながら推移。初出場鬼門とも言われる繰り上げスタートを回避!

 そして、アンカー4年阪本選手が、区間7位の好走!しかも、道中で最下位を脱出。そして満面の笑みを浮かべてのゴールは、多くの駅伝ファンの脳裏に焼き付いたことでしょう。

 この時の主力が卒業し、現在は建て直し中ですが、この初出場を見ていた当時の高校生が続々入部中。近いうちに、この項目から、脱出するはずだ。

番外:立命館大・福岡大

40回記念大会に、関東以外の地区2校参加しています。立命館大・福岡大が、関東の強豪校に食って掛かりました。

総合11位立命館大学12時間9分41秒
1区7位伊藤浩敬③66分34秒 7位
2区9位鈴木 巌④79分40秒 9位
3区9位鶏冠井史郎④65分29秒 9位
4区11位舟橋一夫①65分47秒 9位
5区6位川越征己①86分14秒 8位
(往路8位6時間03分44秒)
6区15位村井雄二①76分44秒 10位
7区8位米井勝秀②67分40秒 11位
8区11位木村祐三①67分51秒 11位
9区13位吉村正昭①82分21秒 13位
10区12位原田睦三①71分21秒 11位
(復路10位6時間05分57秒)

総合13位福岡大学12時間11分54秒
1区8位末次康裕③66分51秒 8位
2区1位重松森雄②73分52秒 2位
3区17位中島文彦①71分38秒 10位
4区2位佐藤寿一①60分46秒 6位
5区10位谷川英明①82分22秒 6位
(往路6位6時間02分54秒)
6区9位鎌田秀徳①72分22秒 6位
7区9位馬場正義②67分50秒 6位
8区13位山崎 勝②68分38秒 6位
9区14位宗 康秀①83分49秒 10位
10区16位林 暄①76分21秒  13位
(復路14位6時間09分00秒)

 最後に番外編。60年前にあたる第40回記念大会に、関東地区以外の大学が招待されています。当時強かった立命館大と福岡大になります。

 立命館大は、とても安定した戦い。1区7位でスタートすると、4区間区間一桁で、往路8位。山登りが最高の区間6位でした。復路は、少しずつ総合順位を落とすも、シード権にも迫る総合11位。総合力の高さを見せました。

 一方、エースが躍動したのが福岡大、2区で、後にマラソンオリンピック代表ランナーとなる重森選手が区間賞の快足!8人を抜いて、総合2位に躍り出ます。

 その後、3区で順位を落とすも、4区でも区間2位!総合6位に再浮上すると、8区までその順位を維持、最終的に13位となるも、大きく存在感を示しました。

 それ以降は、第80回記念大会に、日本学生選抜を組まれた以外に、関東地区以外のチームや選手はありません。第100回記念大会に、予選の参加が全国になりましたが、現状の関東地区とのチームの総合力差は否めない状況。次に、関東地区以外の学生が走るのは、いつになるでしょうか。


 次のネタはまだ決めていません。楽しみにしてください。