次は今回の男子長距離陣の中では、一般的な知名度が最も高いと思われる川内優輝選手です。
公務員ランナーとして、そして日本国内のみならず世界中のマラソンを走る川内選手のプロフィールをもう一度振り返りましょう。
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・東京都生まれ、埼玉県出身
・埼玉県立春日部東高校
・学習院大学(2005~2009)
・埼玉県庁(2009~)
・172㎝、62㎏
幼いころから母親に鍛えられていた話は有名で、全力を出し切るスタイルが確立された要員苦しんでいた時期も相当長かったのですよね。陸上名門校の春日部東高校に進んだものの、ケガの繰り返し。痛み止めを服用しながら懸命に練習を続けるも、結果を残すことはできず失意の中に…。
箱根駅伝に出場は勿論、公務員になる夢は当時からあり、中央大で勉強と両立する予定だったそう。しかし、一般入試で中央大で入り、一番下から箱根駅伝を目指すのは非常に厳しい。ならば、学習院大に入り関東学連選抜(現関東学生連合)を目指す方が僅かに走る可能性があると思い、学習院大へ進学する
学習院大は長距離に関しては強豪校ではない。なので、自然と練習の質量は少なくなり、自主的に練習を組むことが多くなった。これによりケガから解放され、継続的に練習が詰めるようになった川内選手の実力が徐々に開花する。
2年時の予選で覚醒し見事に学連選抜に選ばれ学習院大史上初めて箱根路へ!山下りで区間6位と好走した。自身も付き3年時は関東ICでも表彰台に立つなど知名度も上がり始めた。予選は一転凡走になったが、これはテレビカメラがついた重圧だった模様。
4年時にはつかなかったこともあってか、プレッシャーなく再び好走。2回目の6区に選出すると、59分台の記録で区間3位!箱根ファンに一つインパクトを残していった。
それから、まさかこんなに有名なマラソンランナーになるとは…。もう一度振り返ってみましょう
初マラソンは実は在学中で、学習院大卒業前に別府大分マラソンと東京マラソン2009と2度出走しています。その後、埼玉県庁に入庁、非常勤講師として勤務しながらマラソンで能力を開花させます。
東京マラソン2010で2時間12分台ながら4位に入ると、その1年後の東京マラソン2011でやってくれます。39㎞付近で日本人トップに浮上すると、最後までガムシャラな走りを維持し3位でゴール!タイムも2時間8分台と素晴らしいタイムで世界陸上の切符を手にします。
その世界陸上は半分までに先頭集団から脱落し30位台で推移していましたが、後半じわじわ浮上。日本人3番手の18位に食い込み、団体の銀メダルに貢献して涙を浮かべていたのが印象的でした。
川内選手の練習スタイルはよく知れ渡っていますね。平日は午前中練習で午後から出勤、土日は毎週のようにロードレースに出場し、マラソンも月1~2回、海外に走りに行くのも珍しくありません。こんな試合に出て走り過ぎで体が壊れないのかという声をよく聞きます。
ですが、実は川内選手は「月間走行距離(一か月に走った距離)」からするとそんなに走っていません。実業団ランナーの半分強くらいです。平日の5日間はポイント練習(追い込む練習)は1日ほど、後の4日間はゆっくりしたジョグです。土日にガッツリ練習したいところですが、練習パートナーがいないため追い込む練習がしにくい、そのため試合を利用して追い込んだ練習をしているのです。
ここで2012年~2013年シーズンの記録を紹介します。
マラソンでベストを2度更新した時のレース出場とその記録です。世界陸上切符がかかっていた福岡国際マラソンで2時間10分台で敗れますが、2週間後も2時間10分台、1月もレースに出ながら調整をすると、別府大分マラソンでロンドン五輪6位入賞の中本健太郎選手とデッドヒートを演じ自己ベストで優勝!そこからさらに30㎞やハーフで好記録をマークすると、2時間7分台を狙いに行ったソウルマラソンでさらに自己ベストを更新・・・
狙った試合だけでなく、練習の一環や調整でこの記録の出し方は本当にすごいです!
アジア大会を決めた時もすごかったですね。2時間9分05秒で日本人トップを取ると中13日で出場した防府読売マラソンで2時間9分15秒と連続でサブ10を達成する離れ業を成し遂げます。川内選手ならではの記録ですね。
その勢いでアジア大会でも銅メダルを獲得する活躍をしますが、その後は故障なども重なりやや苦しみます。2012年のロンドン五輪に続き、2016年のリオ五輪も落選してしまいます。
世界大会はこれで最後にすると決めた2017年のロンドン世界選手権の道のりも決して平たんではありませんでした。2016年12月4日の福岡国際マラソンに標準を定めますが、11月12日の練習中に右ふくらはぎを負傷、数日後に出場したハーフマラソンでも大撃沈、さらに本番前記者会見を終えた12月2日に左足首捻挫、周囲の大反対を押し切り出場します。
雨の中で行われた本番、空気が冷えたためかPMが予定より遅くなり、更に患部の痛みも少なくなった川内選手は勝負に出た、中盤でスパートしてレースの主導権を握ると日本人トップの3位!幾多のレース経験も生きました、また昔のマラソンに習い、100㎞ジョグを慣行したのが活きたとも本人が明かしていました。
(ひとまず)最終章となりますが、更なる進化を遂げた川内選手の3度目の世界選手権…苦手という暑さをも吹っ飛ばすことができるのか注目です!