もうすぐ新年度になりますね。
大学生駅伝は新しいチームになっていきますが、
その代わり、卒業して、大学駅伝チームを去っていくランナーもいます。
今年度を持って卒業していくランナーを大学別に振り返っていきます。題して、卒業生特集です。
なお、今回は、入学直前の箱根駅伝の成績順で振り返ります。
箱根駅伝2018・予選落ちでこの4年間の箱根駅伝出場大学
日本大・創価大・明治大・専修大・筑波大・駿河台大となります
なおこのシリーズラストです。
これまでのシリーズはこちら↓
なお、箱根駅伝2018・1位~5位の大学についてはこちら
https://hakonankit-fd.com/article/post-19054.html
箱根駅伝2018・6~10位の大学についてはこちら
https://hakonankit-fd.com/article/post-19057.html
箱根駅伝2018・11~15位の大学についてはこちら
https://hakonankit-fd.com/article/post-19100.html
箱根駅伝2018・16~20位の大学についてはこちら
https://hakonankit-fd.com/article/post-19118.html
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多くの選手がスポーツ推薦で入学しています。だいたい高校3年の春~秋あたりに内定となります(一般受験性などは除く)。つまり、箱根駅伝の成績としては高校2年生時の大会が軸になります。そのため、今の4年生が、高校2年生時の成績から見比べていきます。
箱根駅伝御三家日本大ですが…ここのところは本当に苦しい戦いが続いていますね。今の4年生世代が高校時代の頃から、出場できたり予選落ちしたりという状況でした。
大学1年生の時は、関東IC枠で箱根駅伝出場が決まる独特の状況、2年生の時は自力で予選突破し出場しています。3年目からは箱根駅伝の高速化や指導陣の入れ替わりにも翻弄され、2年連続予選惨敗。かなり厳しい結果を突き付けられています。
この世代では、元々北野選手が一番期待されていたのですよね。実際1年時は、全日本予選4組をいきなり担当して通過に貢献、本戦でも6区13位と後方の位置でまずまず走りました。箱根本戦も主力として3区起用予定でしたが、残念ながら怪我などもあり、欠場しました。
なお、この世代結構エントリーされていて、1万m29分42秒を出して全日本駅伝を走っていた鈴木選手に加え、山本・大池選手と4名エントリーされていました。出走は鈴木選手の5区山登りで、区間14位の成績。当時の走力を思うと、今後の期待が持てる結果でした。
少しでも上がりたい2年目、全日本予選は、この世代鈴木選手が頑張りますが8位と惜しくも通過ならず。箱根予選は、これまで実績ある北野・鈴木選手が外れました。酷暑だった中、早めのペースで入る作戦で大倉選手が8番手の144位、橋口選手が10番手の231位と踏ん張って、7位通過。現状、これが最後の出場となっていますね。
本戦では、1万m29分30秒台までタイムを伸ばしていた、山本・橋口・疋田選手がエントリーに選ばれていました。出走できたのは、復路エース区間9区を任されていました。ただ、区間最下位と通用せず順位ダウン。繰り上げにもあったのは悔しかったでしょう。
飛躍したかった3年目で大きな変化が起こります。率いてきた武者監督が一旦退任、大ベテランの青葉さんが監督となります。さらにコロナ禍もありました。そしてかつてない高速化、箱根予選に全く対応できずに18位の惨敗となってしまいます。
唯一の収穫が、箱根予選前に1万m28分55秒を叩き出した小坂選手。箱根予選も、自分自身で切り替えて個人81位まで浮上する冷静さがありました。学生連合で選ばれた箱根駅伝は7区出走。区間12位相当の走りで、前の集団に追いつき、チームに貢献していました。
4年目は、過去何度も監督をされている小川さんに戻り、さらに武者さんもコーチとして戻ってくる体制に変わりました。この世代では、インカレで1500mに出場していた山本選手が目立っていましたかね。あとは箱根予選で船越選手が4年目で初挑戦していました。
その箱根予選は、飛ばしていきます。伝統校として2年連続予選落ちは避けたかったところです。でしたが、後半力尽きてしまい、予選21位と大敗。直前の記録会で上昇気配があっただけにショッキングな結果でした。多くの大変な経験をした世代になりました。
このカテゴリーで一番話題になるのは創価大ではないでしょうか。この世代高校2年生の時に2度目の箱根路出場。これから常連校になれるかという創価大への進学を決めた世代になります。とはいえ、入学直前の箱根駅伝は予選敗退、まだまだこれからという形でした。
でしたが、大学2年目で3年ぶり3度目の箱根駅伝の切符を掴むと、そこからは度と農勢い。一気にシード校に浮上すると、3年目はこの世代の活躍もあり箱根駅伝往路優勝、総合2位に大躍進!入学時予選落ち、実績はこれからというチームで、これを思い描いていた選手はいたのでしょうか?試される4年目もしっかり上位に留まりました。創価大の上昇に大きく貢献しています。
まだ注目校ではなかった1年目。全日本予選は出走者はいませんでしたが、既に1万m29分台を持っていた嶋津選手を初め3名がエントリーに入っていました。箱根予選は、永井・三上選手がエントリーで、永井選手が出走しています。チームとしては記念像枠のチャンスでしたが、エース選手が欠場。攻めていきましたが、持たずに15位敗退となりました。
2年目、ここで榎木監督体制になったのですよね。全日本予選は三上選手が出走、嶋津・永井選手が補欠でした。ただ12位となり、まだ箱根で活躍するイメージは沸かなかった形。ですが箱根予選は大きなチャンス。事前の記録会も良く、さらに酷暑に。当時は創価大が浮上するときは、気温が高いことも多く、通過有力視されていました。
結果、エース選手が失速する中、総合力でカバーして5位で、3度目の箱根路へ。この世代も、永井選手が67位チーム6番手、嶋津選手が96位のチーム8番手と貢献しています。本番までに嶋津選手が29分15秒までタイムを伸ばし、出走へ。永井・三上選手もエントリーされていました。
実際のこの世代の出走は、嶋津選手の10区のみでした。チームは初めてシード権争い上で戦いを続けていました、でしたが、9区で10位チームと50秒以上の差に。榎木監督ワンチャンスあるかもだけど、半分諦めていた状態でした。
ここで、”暴走”と言えるほどの突っ込みで追い上げたのがタスキを受けた嶋津選手。区間記録を大幅に上回るペースで10位チームを追いかけました。監督の抑えるようにの指示も完全無視だったようです。これが功を奏し、一気にシード権内の9位へ。さらに区間記録を更新!一躍時の人となりました。
3年目、一気に注目を浴びた嶋津選手が一時精神的に苦しみ、休学。それもあり、コロナ禍で書類選考で予選落ちのハプニングがありました。とはいえ、チーム全体の強化は順調。秋は嶋津選手もチームに合流しました。練習内容が見える化したアプリの利用も話題になりましたが、いつの間にかチーム力が大幅にアップしていました。
迎え箱根路、エース選手をつぎ込んだ作戦が成功、3区終了時で2位のポジションでした。ここで4区に入った嶋津選手がまたも大爆発。一気に先頭を奪うと、2位に1分42秒差をつける走りを見せます。激坂王優勝で注目を集めていた5区三上選手が、区間2位の走りで悠々と逃げ切り、見事に往路優勝を遂げます。
しかも2位以降とは差がついていました。急に総合優勝を意識することになりますが、榎木監督「トップで走れることに感謝の気持ちを持とう」との指示、トップを守ります。世代では8区永井選手もトップを維持します。
9区が区間賞で総合優勝濃厚となったところで、タスキを受けたのは4人目の3年生10区小野寺選手。一気にプレッシャーがのしかかり、苦手だという単独走も相まって、自分を見失う走りに…。まさかの区間最下位で大逆転を許してしまう、非常につらい経験となりました。チームメイトが準優勝と胸を張ったのが幸いでした。
そして最終学年、急な準優勝から前半戦はうまくチームが機能せず、全日本駅伝は予選敗退。結局出れなかったのですよね。とはいえ、この結果から少しずつ総合力が上がってきます。初出場となった出雲駅伝は8位となりますが、嶋津選手がついに出場できました。その後の記録会では自己ベストが続出、その選手層は永井・小野寺選手が16人メンバーに入れないほどでした。
箱根本戦、往路は4区嶋津5区三上選手は2年連続でした。前回のようにいかず、3区までで中位争いに。ここで嶋津選手が再び奮起、11人から6人のゴボウ抜きで5位浮上!区間賞を獲得する活躍でした。5区三上選手は前回と違う展開に戸惑い、区間12位。それでも往路8位でゴールしたのは大きかったです。
復路は、この世代では唯一中武選手が、復路のエース区間9区で登場。3位争いの最中、5位で襷を受けて、序盤は3位争いを追いかける走りでした。ただ、途中から表情が険しくなり、最終的に区間16位。順位も9位に落として、ややホロ苦の最初で最後の箱根路だったでしょうか。それでも、創価大3年連続シード権の中に名を連ねました。
卒業後は、三上選手が古豪中国電力で実業団を続けることになりますね。なお、エース嶋津選手は、数か月ながら休学した影響で、学内ルールで卒業が認められず。9月卒業は可能ですが、せっかくなら、もう一度チャンスがある箱根駅伝へ。他にもマラソンにもチャレンジする以降もあります。引き続き、駅伝ファン注目の存在ですね。
この世代が明治大競争部の入部を決意したのは、低迷が続いていた頃になりますね。特に入学直前の箱根駅伝は、まさかの予選落ちで不出場でした。入学してからも、箱根駅伝のシード権というのは近いようで遠い形。
それでも大学2年目の時にシード権獲得、3年目の時は全日本駅伝で総合3位、その後記録会続出した時は、明治大が箱根上位校に戻る…と思われたのですが、そこからまさかの2年連続シード権落ち。箱根駅伝の難しさを痛感することになりました。
入学直後から即戦力となったのは最終的にエースとなる鈴木選手ですね。全日本予選は、3組に抜擢。酷暑となった中組6位の好走を見せます。箱根予選でも引き続き出走し、チーム内4位49位で走破。中嶋選手も10番手138位で貢献していますね。
箱根前は記録会でいい記録が出ましたね。鈴木選手の29分12秒を初め、名合選手が29分34秒ベスト、手嶋選手がハーフで64分04秒。この3名が箱根エントリーに。出走は鈴木選手の1区。区間13位ながら、六郷橋まで集団で役割は果たしました。ただ、チームは10区までシード権争いに残りましたが、獲得はできませんでした。
2年目、全日本予選はエース格に成長した鈴木選手が4組で28分55秒で好走するまで成長、チームも2位通過します。箱根予選は、4年生主力選手を欠いて一転通過のピンチ。鈴木選手も54位にとどまります。
救ったのはこの世代の手嶋選手。日本人先頭集団から一時抜け出すなど見せ場を作って個人9位。ここまで主力格とみられていなかったともあり、びっくりの快走でした。また、金橋選手も79位と踏ん張っていました。総合力で4位突破しました。
全日本本戦は、箱根予選からの調整不良もあり、総合15位に。その中で鈴木選手の7区5位の成績が光っていました。そして箱根駅伝ではこの世代が活躍、3区手嶋4区金橋5区鈴木選手が並びました。
手嶋選手が3区7位の好走で順位を12位から7位と5つ順位アップ、金橋選手が区間13位と安定した走りでシード権内の9位をキープ、山本監督自信もって起用の5区山登り鈴木選手が区間5位好走。5位まで順位を上げて往路ゴール。その後3位争いをしながら総合6位へ。駅伝ファンの予想を大きく上回る活躍でした。
3年目は、全日本駅伝の戦いが素晴らしかったのですよね。序盤から手嶋選手らの頑張りもあって2位争いに付ける位置。スタミナ型の金橋選手も5区繋いで、上位が見える位置の4位で、アンカーの鈴木選手へ。途中までトップ争いを追いかける走りで総合3位に浮上。久々明治大が三大駅伝で表彰台を確保しました。
このことから、山本監督も総合優勝を狙うと士気を高めました。記録会でも28分序盤~29分切りと好記録が続出。箱根本戦は、鈴木・手嶋・金橋・丸山選手がエントリー。区間は、5区鈴木選手と7区手嶋選手となりました。自信を持って臨んだのですが、
序盤から上位に付けず、5区鈴木選手で挽回も往路14位。7区手嶋選手も昨年通りの走りとはいかず区間11位。そこから懸命に上げていきますが、総合11位でシード権落ち。まさかの結果でした。
4年目は、箱根駅伝の強さを追い求めることになりました。春のトラックシーズンから4年生エースとなった鈴木・手嶋選手が28分10秒前後の自己ベストをマークし引っ張ります。関東ICだけでなく、日本選手権にもチャレンジします。
箱根予選は、鈴木・手嶋選手だけでなく、4年目で大幅に成長した橋本選手も上位で走り断トツのトップ通過に貢献します。全日本駅伝は、調整が難しい中、手嶋選手が兼ねてから希望していた1区で粘り、怪我明けで6区に回った鈴木選手が区間4位と奮起し7位から3位でポジションアップ。初駅伝7区抜擢の橋本選手が区間4位の堅実な走り、見事連続シード権を獲得しました。
そして、箱根駅伝リベンジへ。1区手嶋2区鈴木選手と攻めのオーダーでしたが…。手嶋選手は今シーズンの不振から脱することが出来ず、区間13位。鈴木選手は攻めのレースといかず区間16位…。チームは流れを書き往路17位と、すでにシード権が厳しい状況に。復路では、アンカー配置の橋本選手が奮闘!区間4位の好走で総合14位ゴール。復路順位は3位まで浮上しました。
4年生としてショックを受ける結果となりましたが、卒業後続ける選手はこの世代は多いですね。鈴木・手嶋選手は名門旭化成へ。橋本選手は最近強くなってきたSGホールディングスへ!一般入試から這い上がって凄いですね。中々出番がなかった金橋・丸山選手も続けます。
このほか、1500mで学生トップ付近のレベルを持ちながら、箱根駅伝レギュラーを争った佐久間選手、他にも29分20秒ほどのベストを出した大西・植田選手もいます。全体的なレベルも高くて、印象に残る世代になりました。
専修大はずっと予選会が続いていたのですよね。毎年判を押したように予選14位。酷暑でペースが乱れたときも、涼しくて高速レースになった時も同じ成績。関係者は地団太を踏む思いだったのではないでしょうか。この世代は、そんな専修大に入部しています。
長谷川監督と途中でなりましたが、箱根予選はボーダーライン上に食い下がる戦い方。ただ、15㎞以降少しずつ離されていました。その打破がなされたのが、この世代大3の時。激戦の中、最後の一枠に残り7年ぶりの出場へ。本戦は最下位となりましたが、復活に確実に貢献した世代です。
箱根復活前の、各大学駅伝(予選)の主要大会出場状況をはまり把握していませんでした。少し整理ます。1年目全日本予選に選ばれていたのは、1組南選手と2組服部選手でした。この時はともに30位台に終わっていますが、一つ貴重な経験をしています。箱根予選では南選手が選ばれチーム8番手207位の力走。当時の実績からすると結構走っていると思います。
2年目、全日本予選に関しては、30分13秒までベストを短縮していた南選手が3組抜擢。32位ながら大きくは崩れず、安定感が持ち味でした。また、29分41秒を出していた横山選手も選ばれています。
酷暑となった箱根予選は、3名の世代選手が出走。その中で2年連続出走の南選手がチーム5番手139位と成長したところを見せます。また佐々木・横山選手が初挑戦、佐々木選手は7番手の173位は当時の実績としては好走でしょうか。横山選手は10番手の213位となります。チームとしては、エース選手を中心に食い下がったのですが、この年も14位でした。
3年目、主力選手が卒業して育成の年と思われていました。おまけにコロナ禍、専修大は全く試合に出ずにトレーニングを積む選択を取り、事前情報はほぼ分からないまま。予選通過候補にあげる駅伝ファンは、あまりいなかったと記憶しています。
10㎞地点で総合7位、15㎞地点で総合10位に落ちたのはこれまで通り、でしたが、18㎞地点でまだ総合10位キープは例年以上、長谷川監督の「(箱根路は)夢じゃないぞ」の声かけもあり、非常に僅差の戦いの中、10位凌ぎ切りました。
主力選手の頑張り、この世代では3年連続出走の南選手が過去最高91位、さらに1万m29分39秒と伸ばしていた金久保選手も99位でチーム5番手6番手、佐々木選手が前回と同じ173位ながらチーム9番手、しっかりと総合力が上がっての通過でした。本戦では厳しい戦いも、金久保選手が3区、また服部選手が1年の全日本予選以来選ばれて10区を担当しています。服部選手が区間14位健闘、ラストスパートは印象に残っていますかね。
そして今年度、チームは初の留学生を導入するなど、強化のスピードを上げようとしていました。もちろん4年生世代もしっかり力を付けました。4年連続箱根予選の南選手、3度目の予選横山・佐々木選手がしっかり100位台前半・中盤、初挑戦の服部選手も粘って10番手171位。9位通過ながら、力がしっかりついての通過でした。
本戦では、復路で3名の4年生が出走。往路19位の流れからタスキを受け、昨年も怪我がなければ6区山下り予定だった横山選手が区間17位、8区では直前に1万m29分台を出してメンバーに入った岩間選手が区間17位、調子を上げていた服部選手が9区区間15位と粘り、繰り上げ回避する走り。2年連続総合最下位ですが、手応えは感じたのではないでしょうか。
無念だったのは、4年連続予選出走南選手、3年連続予選出走の佐々木選手が、本戦への調整が合わず、出場がかなわなかったこと。予選通過には必要不可欠なランナーでした。他、江口選手が箱根エントリー前に1万m29分52秒のベストを出してレギュラー争いを盛り上げましたね。全員が引退となります。それでも伝統校専大を7年ぶりに復帰に導いた世代、誇りを持てるのかなと思います。
この4年間の間に、一度箱根本戦へ出場がかなった筑波大も特集する必要がありますね。箱根駅伝を走ったランナーもいます。筑波大の箱根駅伝プロジェクトはあったにさよ、彼らが高校2年生の時の箱根予選は24位、高校3年生の時の箱根予選は19位。まだ本戦とは差がある中でした。
それでも大学2年目で、チームがうまく機能。箱根予選で6位に食い込み、見事26年ぶり筑波大の出場を果たしています。それ以降の予選会は通りませんでしたが、予選11位・13位。以前よりはるかに高い水準での戦いを続けることが出来ました。
1年目の時はまだ戦力になる選手は少なかったのですよね。箱根予選では唯一杉山選手が選ばれていますが、69分オーバーのタイムでちょっと失敗レースでもありました。
2年目が飛躍の年でした。前半戦は、全日本予選の出場を逃し、その後トラックを主戦にしたい選手が部を離れるという出来事がありましたが、これも箱根本戦を本気で目ざるうえで必要なことでした。いい雰囲気の中迎えた結果、見事に予想以上の6位通過。この世代も伊藤選手が159位の9番手、山本選手が184位の10番手と貢献。チームの底力に貢献しています。
迎えた夢の箱根路、この世代2名が箱根駅伝に登場。予選後に、1万m29分38秒のベストを出した杉山選手が7区、8区には予選も奮闘した伊藤選手でした。ともに区間最下位も大崩れはせず、この地点での繰り上げは回避しましたね。
3年目は、当時の4年生の戦力が非常に充実しており、連続して箱根本戦を狙える状態でした。でしたが、かつてない高速化に大学長距離界が迎えていて、スピードランナーが少ない筑波大としては、ボーダーラインが容易に超えられる状況でもありませんでいた。
箱根予選は、ボーダーラインよりやや後方から必死に食らいついていくレース。15㎞以降になって、持ち前の粘りで懸命に追いかけます。杉山選手が頑張って個人66位、伊藤選手も212位ながら失速はしませんでした。でしたが、僅か18秒差の次点。大変な悔しさを味わう結果となりました。
4年目は、杉山選手が大きく成長しました。5千mで13分台を出すと、日本IC5千mで入賞。この年は選手層が薄くなっていたため、エースの台頭はチームに勇気を与えています。
箱根予選は、杉山選手は過去最高の44位、伊藤選手も終盤相当の追い上げで69位に食い込みました。また、故障明けながら山本選手が2年ぶりに出場し、必死に食い下がりました。でしたが予選13位。本戦復活とはなりませんでした。
それでも、大学2年の出場から、以前より非常に高いレベルで戦い、質の高い悔しさを味わうこともできました。確実にチームに貢献している世代です。なお、杉山選手は、名門カネボウへ。筑波大卒の実業団ランナーが確実に増えてきています。
徳本監督が、試行錯誤して何とかしてチームを強化している最中の世代になるのですよね。入部を決めただろう、この世代高校2年生の時の箱根予選は19位も、入学直前は予選23位。徳本監督に惹かれて入部を決意した選手もいるかもしれません。それでも、箱根本戦出場はどこまでイメージで来ていたのでしょうか。
とはいえ、留学生も加入して、入部した年から、本当に勝負の4年間になったのは確かでした。大学2年生時に、一気に本戦出場校との差を縮める12位と飛躍。さらに3年時にまた独自性の高い戦力アップもあり、さらに注目を集めました。その3年目は足踏みしましたが、4年目ついに本戦出場。襷を繋ぎ切り、総合最下位から浮上の19位。大きな話題になりましたよね。
1年目は新留学生のジェームス選手が大いに話題になりましたよね。関東ICなどでも早速活躍して、チーム初の1部昇格に貢献。その爆発力には注目が集まっていました。箱根予選は個人9位、初ハーフでまずまずでしたかね。日本人では、阪本選手が唯一出場、この時は258位でチーム9番手でした。
2年目は関東IC初めて1部で戦います。27分45秒まで持ちタイムが上がっていたブヌカ選手の活躍と400m・マイルリレーの活躍などで一部残留します。さらに、選手層が厚くなり全日本予選に初出場。世代では阪本選手が1組29位健闘。4組ブヌカ選手は38分09秒の3位はさすがの成績。
さらに、エース選手の体調不良で、当時1万m31分台ベストだった田尻選手が急遽4組に出場。明らかに他ランナーと力の差があった中で、自己ベストと10秒程の差でゴールしています。この頃から、安定感には長けていますね。
箱根予選でもチーム力があがっていることを証明します。酷暑だった中、ブヌカ選手は個人8位に留まったものの、阪本選手が88位のチーム4番手と健闘。田尻選手も11番手ながら214位と力をつけていました。15㎞以降浮上し、予選12位。過去最高で、ボーダー10位にも大きく近づきました。一気に初出場の機運が高まってきました。
3年目になって、また大きな動きがありました。高校教師だった今井選手が、自己啓発制度を利用して、休職して2年間駿河台大で心理学を学ぶことに。さらにトライアスロンを過去にしていて、その後もランニングをしていたこともあり、1万m29分台の走力を保持。当時はまだチーム内でも上位でした。これでまた一気に注目が上がりましたね。
初出場の声もちらほら聴かれる中、3年目の予選会。10㎞までボーダー付近で戦いますが、その後やや後退。エースブヌカ選手は過去最高の60分34秒の4位でゴールしますが、今井選手がチーム6番手195位、田尻・阪本選手が200位台となり、総合15位と通過はなりませんでした。ここは足踏みしましたね。
そして勝負の4年目、箱根予選の前に驚いたのが全日本予選。この世代1組に登場した入江選手が21位30分01秒ベストの走りで中位に。3組今井選手が各チームの主力選手に食いつき29分30秒16位と大善戦。最終組ブヌカ選手が5位28分11秒と頑張ります。結果は通過7位に次点の8位。これは駅伝ファンおよび関係者も驚いた結果ではないでしょうか。
確かな手ごたえを得て箱根予選へ。ブヌカ選手は個人6位と安定した走りでしたが、後方集団走が10㎞過ぎで崩れるアクシデントがありました。阪本・入江・今井選手と4年生がチーム8番9番10番で順位は200位付近。通過が微妙になりました。
その中で奮起したのが田尻選手。15㎞以降に大幅に順位を上げていき、個人99位のチーム5番手でゴール。実は駿河台大、ここ2年惜しくも届かなかったのは、4年生がうまく力を発揮できなかった面もありました。それを打ち破っての初出場、田尻選手の貢献は大きかったです。
迎えた箱根本番、ブヌカ選手は、エース区間2区出走しますが、新型コロナワクチンの注射を打ってから調子が上がらず、区間19位と伸びず。同じく予選以降の不調から抜け出せなかった今井選手が区間最下位になるなど、往路最下位。初出場の洗礼を浴びました。
一日置いて、繰り上げ回避の目標のもと復路スタート。6区からの健闘もあり、他校と競り合いながらレースを進めることが出来ました。9区復路エース区間に回った田尻選手も、途中から他校と競り合いペースをキープ。見事繰り上げを回避しました。
ドラマはこれで終わらず、アンカーに配置された主将の阪本選手が快走。区間7位の走りで総合最下位を脱出すると、満面の笑みでガッツポーズのゴール。直後、「気持ち良かった」の感想は、今年の箱根駅伝の裏主人公チームだったと話題になりました。
この世代は徐々に力をつけた選手は他にもいて、入江選手も最後まで争いましたし、生田目選手や、徳本監督一押しだった榊原選手あたりも、一度は主要大会を走ってほしかったランナーです。
進路に関しては、驚きの発表があり、阪本選手がフルヤ工業という企業に就職し、陸上部を立ち上げるための準備をしていくということに!箱根のゴールだけでもなく、さらにまた駅伝ファンの大きな話題になっていきそうです。
箱根駅伝ファンのための情報集
【箱根駅伝ファンのためのリンク集】
【2021年度箱根駅伝ファンのための競技会日程】