夏の間、更新できなかった企画ですね。11月の間に少しでも続けます。
第75回箱根駅伝1999を振り返っていきます。
今回は、4区になります。
トップ順大に…伝説の逆転劇&区間新記録
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この4区も、伝説の回ですね。駒大4年藤田選手の大激走があったのですよね。前後の順大大橋、東海高塚選手も実力ある4年生だったので、なお際立ちます。
4位以下も実力者多い、中大藤田、神大辻原選手もいますし、のちにマラソンで有名にになる早大佐藤、そして2019年現在もなお1500m日本記録保持者となる拓大小林選手もいます。最も、佐藤選手は故障明け、小林選手は…、ですね。
後ろでは、14位スタート山学西川選手が実力者、最下位の帝京鎌浦選手は、この年から3年連続4区走ります。有名になるのは来年です。
95回相澤(東洋)25分31秒
順大大橋選手は1㎞3分少しのペースで淡々と刻んでいく。前回8区で区間上位で走った通りの走り。一方、2位スタートの実力者駒大藤田選手は、スピードが違う。2分50秒少しのペース。1㎞10秒という驚異的なペースで詰まっていき、すでに1分以上も差を詰めていく。
全日本駅伝後に調子を落とした中、4区出走だったが、やはりエースだ。このあとの追い上げが気になるところ。(なお、20年後、限りなく近いコースで区間新の相澤選手はさらなる突っ込み、このスピードも物凄いものだ)
3位東海高塚選手を挟んだ後ろが混線。拓大小林選手が下がり、上がった4位中大藤田選手に神大辻原選手が追いつきか翔。早大佐藤、日大塩見選手もこれに食い下がる形だ。一人、拓大小林選手が全くついていけず、すでに7位からも1分遅れる8位になったのが気になったが…
後ろでは山学西川選手が一人実力が違う感じ。3番目のタイムとなる26分47秒の力走、日体・小原、東洋・鈴木、中学・尾上選手と次々とかわし11位に浮上。大東・飯田選手も直に捉えそうな形。懸命に上位を追いかけます。
95回相澤(東洋)25分22秒(50分53秒)、71回小林(早大)51分34秒
トップ争いが風雲急を告げる。みるみるうちに駒大藤田選手が追ってきて、第一中継車から見えるようになってくる。15㎞地点で30m差になってからは一瞬だった。
ぐっとギアをあげた藤田選手が酒匂橋の上、15.5㎞でついに大橋選手を捉える。大橋選手もずっと堅実な走りだったが、2分20秒を一気にひっくり返されてしまった。500m進んだ16㎞で7秒差、勢いが違った。
藤田選手はトップギアをキープ。17㎞49分13秒、市民会館前の51分06秒は、当時の区間記録を28秒上回るものだった。区間2位の神大辻原選手は2分以上の差、当時のレベルからするといかに衝撃的な走りかわかるだろう(なお、相沢選手はまだ13秒早いです)
その辻原選手の4位争いは動きが。中大藤田選手との激しいバトルは、酒匂橋で決着。藤田選手が明らかにスパートをかけて突き放していく。酒匂橋はこの年は分岐点となっています。なお3位東海高塚選手も視界に入り、さらに追いかけていけそうだ。
中位争いも動きが。8位法大佐藤選手も真後ろに、9位山学西川選手の姿が。大東飯田選手、さらに拓大小林選手もこの間に交わしたところだ。さすがに区間上位キープだ。
その後ろ、大東飯田選手がなんと拓大小林選手も交わしていた。小林選手は4位から7つ順位を落として11位に。2年連続6区から満を持しての4区起用だったが…ただこの遅れ方は、明らかにアクシデント気味、残り3㎞だが、最後は箱根の山が始まり登りに。この後が心配だった。
直後に日体小原、東洋鈴木選手が通過。14位中学1年尾上選手が失速し苦しい走りに。大きく離れていた最下位帝京鎌浦選手が何とか粘って近づいてきた。山の前、動きが大きくなってきました。
95回相澤(東洋)10分01秒(60分54秒)、71回小林(早大)10分01秒(71分35秒)
藤田選手は、中継所まで残り1㎞(19.9㎞)地点でを58分ちょうどで通過。これは当時の区間記録小林選手の記録を33秒上回るタイムだった。当時の映像でも、最後は上りになっていたにもかかわらず、かなりのスピードを感じる。
全日本駅伝後不調、さらにもう一人佐藤選手が2区を行ける算段だったゆえに、この配置となったそうですが、大的中。これは、20年後に藤田選手を2秒話回った東洋大相澤選手とも重なる感じだ。
藤田選手はハイペースのまま突っ切り、60分56秒の大記録!上りの3.2㎞をほぼ1㎞3分イーブン。これは今年の相澤選手よりも11秒早い、また日本選手権1500m優勝者の東海館澤選手よりも7秒早いという、伝説的な残り3.2㎞だ。
ラストが驚異的なのは、2区区間記録の順大三代選手とも重なる。当時は力のある選手が後半に物凄い走りをすることで区間記録の大幅更新があったよう。今年の順大塩尻、東洋相澤選手は序盤から突っ切った貯金で更新。どちらも本当に強い。特に藤田選手はのちに、マラソン日本記録保持者となります。両者の今後も注目です。
2位となった順大大橋選手も実力者揃いの区間8位は悪くなく、64分少し。当時としてはナイスランのタイムだ。2分20秒ひっくり返されて、1分06秒付けられるのは仕方なかった。
なお、実は当時の順大は10番手。名将澤木親分が、流れを考え、4区で駒大を前に行かせる事を想定していたのだから末恐ろしい読み。最も、YKKの一角を崩して3位以内想定、復路のあの展開までは思っていなかったらしいが…
3位が中々来ないが、4分の差になってようやく東海高塚選手。後小森コーポで活躍しますが、それでも差がこれだけになった。新居コーチは「往路で大きな貯金がほしい」とのことでしたが、3位はまずまずか。なお、5区でさらに貯金ができたりします。
すぐ後ろ4位に中大藤田選手が頑張り中継。以降、20秒~30秒ほどの差で、5位神大辻原、6位早大佐藤、7位日大塩見選手。各主力の実力が拮抗し、大きな順位変動はなかった。後有名になるのは早大佐藤選手だが、この年はオーバーワーク気味で怪我に苦しみ、本来の走りとはならなかった。
ここから2分半差があいて、8位山学西川、9位法大佐藤選手がやってきた。西川選手は最後も切り替えていた。14位スタートで区間5位、6人抜きは素晴らしい走りだった。次が次回区間賞の選手だ。前が離れているが詰め寄れるか。
後ろはやや開いてきて、10位日体小原、11位大東飯田、12位東洋鈴木選手が通過。この後ろとなった13位拓大小林選手が何とかやってきた。最後は1㎞4分近くかかっていた。直前に38度の発熱が出たものの、隠し通しての出場だったらしい。
箱根前日の1000mの刺激練習も何とか誤魔化したとか。何とも後に1500m日本記録保持者となる選手の逸話らしい。ともわれ、3位候補ともいわれた拓大としては大打撃のブレーキ、一転シード権争いよりも下の位置となってしまった。
14位は苦しくなった中学尾上選手、15位帝京鎌浦選手は見えるところまではきた。上位2チームが抜けて、3位以下はまだまだ混戦の中。箱根山中へ突入していく。
おまけ、駒大でコーチを務める藤田敦史さんの現在のお姿
先日の世田谷ハーフの出走シーンです。まだまだ、ハーフ75分ほどで走り切る走力があります。