今年も20年前の箱根駅伝を振り返る企画をやっていきます。
今回は第75回箱根駅伝1999となります。
いつも通り各区定点間分析をしていきます。
今度は2区です。あの順大三代直樹選手の伝説の区間記録の年になります
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拓大が初めてのトップ通過、ただ2区はエースが故障明けで置けず。後ろから強豪校があっという間に追ってくることは容易に想像できる展開でした。
さて、後ろはほとんどが上級生ですね。4年生が非常に多く、順大三代、駒大佐藤、東海諏訪、神大渡邉選手など期待が高い選手が一気に追いかけてきます。また3年でも日大山本、山学古田選手も区間賞候補。また、半覚醒とまできていた法大坪田選手の名前もあります。
なお、1年生が3人も起用されていたのですが、その1年生が3人とも下位から走り始めるという展開。名前は2016年にリオ五輪マラソン代表となる東洋石川選手が初の箱根へ。帝京中崎選手も後にいいランナーになりますね。
最初の2~3㎞が目まぐるしい展開で、トップで走り始めた拓大吉田選手に、後ろのランナーがどんどん追いつきます。あっという間に、8位順大三代選手まで追いついて大集団になります。上位8校のうち、日体北山選手以外は一時並ぶ展開でした。
ここから力の関係で、拓大吉田選手が下がっていくのですが、中大小嶋、神大渡邉選手も程なくして下がったのはちょっと意外な展開でしたでしょうか。特に渡邉選手はちょっと気になりますが…
最も集団を引っ張る順大三代選手らが、かなり快調なペースで走っていたのも事実。駒大佐藤、東海諏訪、日大山本選手と4人で先頭をひた走ります。
さて、もう一人注目だったのが9位で走り始めた山学・古田選手。どんどん前を追うか…と思いきや思ったほど伸びてこず。確か1㎞通過が3分ちょうどで首をかしげていたのをかすかに記憶しています。
ペースを抑えて走っていた日体北山選手は交わしたものの、横浜駅前直前に、並走していた法大坪田、早大山崎選手に捉えられ順位を落とす展開。ちょっと心配な状況でした。
後ろ12位以下は予想通り離されましたが、最下位で走り始めた帝京中崎選手ら何とか前を追っていて、それぞれまだ前が見える距離で走っていて、大きくはまだ差が開いていない状況です。
4人の実力者の先頭集団がどんどん絞られていく。横浜駅前あたりから、なんと日大山本選手が遅れ始めた。さらに太腿を叩く仕草が見られ、急激に離されてしまう、ちょっと心配になる展開だった。
心配なのは古田選手もで、法大坪田・早大山崎選手にはついていけず、同じく苦しい走りとなっている神大渡邉選手らは視界に入る位置にはいるものの、中々詰められないといったところだ。
先の法大坪田・早大山崎選手が順調で、拓大吉田、中大小嶋選手らを捉え順位をあげていく。1区で流れを掴めなかった中、エース選手が奮闘。ともに前評判以上の走りのはずだ。
トップ争いはさらに動きがあり、東海諏訪選手がついていけなくなった。この時にはかなり強くなっていたが、直前に故障して万全ではなかったそう。その諏訪選手も5番目のタイムでは走っていて、懸命に粘っている印象。
むしろ、トップ争いの順大三代、駒大佐藤選手の争いが強い。三代選手は3年連続2区で前回区間3位。非常に前評判高い選手では一人快走中。駒大佐藤選手は前回裏の9区で区間賞。エース選手が4区に回った中で、相当な走りだ。2選手が一気に抜け出した形だ。
3位諏訪選手通過後、驚いた。山本選手がペース上がらず、なんと坪田選手がちょうど捉えたところだった。山崎選手をも少し引き離したところ、この定点間3番目の素晴らしい走り。山崎選手も、気合のこもった走りです。
中大小嶋、拓大吉田選手、その後ろになった神大渡邉選手が通過、それからしばらくたってからようやく古田選手がやってきた。この定点間13番目までタイムが落ちていて、持ち前のパワフルさは影をひそめてしまった。後ろ、いったんは抜いた日体北山選手が背後に迫っていた。
少し離れた12位争いは少し展開が変わっていた。東洋石川選手が苦しくこの定点間最下位。その背後になんと帝京中崎選手が2つポジションを上げてやってきていました。なんとこの定点間6番のタイム!これは当時の力を考えると強気な追い上げだったでしょうか。
のちに、帝京大最初の上昇期を支えるエース選手になりますが、その片鱗はここに現れていました。中学吉川、大東小林選手も近くにいて、うまく競り合えばまだ3区以降繋がっていく形です。
順大三代、駒大佐藤選手の並走に、決着がついたのは17㎞過ぎ。権太坂の下りで三代選手が仕掛けると、みるみるうちに差が開いていった。佐藤選手が遅れたというより、三代選手が順調すぎる。
これだけ余裕の表情、軽快な走りで権太坂を駆け下る映像は滅多にお目にかかれない。それもそのはずで、歴代の選手で権太坂~戸塚中継所の22分43秒は、留学生の選手よりも早い、史上最速なのだから…
さて、このあたりから少しずつ区間記録の話も出始める。20㎞通過は57分52秒。当時の区間記録渡辺選手は57分38秒だったそう。なお、19㎞通過で27秒遅れだったのが、20㎞地点で14秒差になったそう。渡辺選手はラスト3㎞を9分10秒だったそうだが果たして…。
上位争いは少し落ち着いていた。3位東海諏訪選手は苦しくなるも単独3位キープ。後ろ4位は法大坪田選手が上がり、5位日大山本選手はげんこつで太腿を叩く仕草へ。すぐ後ろに見える6位早大山崎選手は、ここで追いきれない形に。山学古田選手はやはり日体北山選手に抜かれ11位へ。やはり苦しい形に…。
さて三代選手だ。20㎞を過ぎてからは駒大佐藤選手は全く見えなくなった。それだけすごい勢いで最後のアップダウンに突入していた。22㎞地点で区間記録に11秒差に。このあたりでもしかすると…という雰囲気になってきた。
当の三代選手は、懸命に力を出し切ろうと必死、全力疾走のまま戸塚中継所への襷リレー。速報タイムは”66分47秒”!『あの渡辺康幸の区間記録を超えました』は当時の駅伝ファン衝撃的な出来事だったこと。
そのあと、三代選手がむせび泣いていたシーンがありましたが、この時はまだ記録のことは知らなかったよう。とにかく自分のやれる走りができた高揚感だったそうですね。
それにしても、20年経った今権太坂以降の走りが物凄かったこと。毎年、権太坂までは区間記録ペースも、そこから大きく引き離される。今年1秒更新した塩尻選手も、最後に大幅に詰め寄られる結果だった。改めて、箱根駅伝史に残るレジェンドシーンだ。
さて、これで2位以降は遥か後方に離れた。駒大佐藤選手はいつの間にか1分半置いて行かれていた。これで権太坂から3番目の走りで68分台の区間2位。インパクトが低くなったが、これも相当な好走だった。
3分近くたって、3位以降が見えてきた。東海諏訪選手が失速しかけながらなんとか耐えて3位。予選上がりの東海大はいいロケットスタートに。
4位争いはし烈で日大山本選手が最後に意地を見せて法大坪田選手に追いつく形でリレー。力はあったが脚のアクシデントが悔やまれる形となった。直後、早大山崎選手が6位。”サラリーマンランナー”は最後エース区間で4位の走りだった。
ここから少し離れて拓大吉田選手が粘って7位中継。ここはむしろうまく走ったというべきだろうか。最終的に中大小嶋選手を抜き返した。3区以降に繋がりそう。日体北山選手もうまくまとめ9位中継。
最後までペースを上げられなかったのが神大渡邉選手。3連覇がかかる中、重圧もあったでしょうか。トップと4分40秒はともかく、一番戦力があるとみられる駒大と3分15秒差はいきなりの痛手。果たして追い上げなるか。
その後ろは山学古田選手だが、大変なことになっていった。18㎞~19㎞3分15秒かかってからは、何とか身体を動かしている状態に。さらにびっくり、権太坂で最下位通過だった大東小林選手が20㎞過ぎにするりと交わしていった。
大東小林選手は地を這うような独特な走りで最後の登りもするするとのぼり、いつのまにか神大の後ろ20秒差に!しかも権太坂以降はなんと2番目のタイムで区間7位進出!1年生でこれは将来凄いのでは…と思ったのは事実だ。
そこから50秒あいて中学吉川選手。ここも終盤粘る形。最後はややバテたが直後の帝京中崎選手も見せ場を作りました。
そして、14番目やっと古田選手。体を傾けて喘ぎながらようやくリレーしたが、まさかの走りとなってしまった。直後、東洋石川選手が最後にリレー。のち、20年後の春まで現役を続ける彼の最初の箱根はホロ苦いものに。ただ、僅差では凌いで次には繋ぐものでした。
区間記録を出した順大が大きく抜け、東海・法大らの健闘がありました。3強で見ると、2位駒大、10位神大、14位山学と早くも大きく明暗が分かれる展開となりました。