色々ありましたが、
ひとまず第100回記念箱根駅伝の要項が決まってきました。
あとは、箱根予選を経てカウントダウンになっていきますね。
各社新聞記者も、過去の箱根駅伝での様々な出来事をまとめていますよね。
当サイトでも、簡単なデータまとめにはなりますが、
第100回の箱根駅伝を記念しての特集をしていきたいと思います。
まずは、基本のところ、
優勝回数と出場回数についてのまとめになります。
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優勝回数は、回数だけでなく、優勝の順番も。
出場校は、回数だけでなく、
優勝の順番をまずは見ていきます。第1回大会に現筑波大にあたるチームが優勝したのは、駅伝ファンみんな知っていると思いますが、それぞれのチームのは優勝の回はあまり知らないのではないでしょうか。
続く第2回で明治大、第3回で早大、第13回では慶大も優勝していて、初出場の4チームは1回以上優勝しています。そして、中央大・日本大と後に御三家になるちーむもその間に優勝しています。
また、あまり知られないない専大が、戦前の第20回で初優勝。初日から往路優勝を果たし、4連覇中だった2位日大と13分26秒の差をつけます。でしたが、復路で大きく詰められるも1分47秒差で逃げ切り、薄氷を踏む思いでの優勝した。なお、9区で日大は踏切の足止め(当時はロスタイムとして減算なし)があり、これがなかったら、果たしてどうだったか…。
その後、しばらく初優勝が出ませんでしたが、42回大会順天堂大が初優勝してから、活性化しますね。45回日体大が初優勝してから、49回大会まで5連覇。さらに大東文化大が51回に初優勝します。名だたる伝統校が出てきていますが、ここまでが、テレビ放映前の初優勝ですね。
テレビ放映後は、箱根駅伝ファンも覚えている方が多いでしょう。第68回大会で、山梨学院大が初優勝。初の留学生出走チームの優勝、出場6回目でのスピード優勝で、上田監督も多きくクローズアップされました。
その後は、大後監督の神奈川大が第73回、そして、今年の春退任までずっと話題になった大八木監督(当時コーチ)の駒澤大学の初優勝が第76回、大波乱があった第82回は亜細亜大、
そのあとは、『山の神』柏原選手を擁した東洋大が、こちらは歴史に残るスロー優勝を果たしました。ここ10年は、平成後期に黄金時代と築いた青山学院大、第95回大会、こちらも伝統校だった東海大がようやく初優勝しています。
…以上になります。第99回大会まで終えた中で、優勝校は17校…。この数は、多いと感じますでしょうか。それとも、少ないと感じるでしょうか??毎年チームが入れ替わる学生駅伝と思うと、ちょっと少ないと感じますかね?
続いて、優勝回数を見ていきます。
こちらは、ご存じの方も多いでしょうかね。最多優勝は、中央大の14回です。次いで優勝の多い早稲田大、日本大、この3チームを合わせて、”箱根駅伝御三家”と言われます。
中央大は、今なお残る連覇記録・6連覇が燦然と輝いていますが、それ以外にも8度優勝していて、本当に箱根駅伝の中心核と言えます。早稲田大は、3連覇以上がないのですが、それでも強いエースで時折勝ってきます。日大も5連覇がありますね。
多くの優勝が、かなり以前。日本大は49年前の50回大会が最後、中大・早大もしばらく動きがなかったですが、中大は72回、早大は69回・87回大会で優勝して、少し動きがありましたね。
4位と5位には順大と日体大、一時期順大と日体大が勢力を2部していた頃があり(第50回大会台など)、この2校が一気伸ばしましたね。その後も、順大は、駒大との紫紺対決もあり11回に、第59回大会優勝から優勝回数「9」で止まっていた日体大も、強風の89回大会で伝統校の意地を見せ、優勝回数を10回に乗せています。
そして、平成の常勝軍団と言われた、駒澤大や青山学院大の名前が出てくるのですよね。それぞれ8回と6回です。東洋大の4回もありますね。駒大は長く上位にいたこともあり、まだ8回なの!?と言いたくなるような。
そんな中、第25回大会までに7度の優勝を重ねたのが明治大。戦前と戦後直後に優勝しています。箱根駅伝黎明期に大きく支えた大学とも言えます。その後は、一時12年間箱根路から遠ざかった時期もありましたが、今は復帰しています。
このうち、大きくクローズアップされるのが往路優勝。近年では、第97回大会に出場僅か4度目だった創価大が往路優勝。10区終盤までトップを維持し、あわや総合優勝とまでいったのは、記憶に新しいところ。ここから上位に定着していますね。
また、東京農業大が、第50回記念で往路優勝を飾っているのですよね。伝説の服部選手の2区12人抜きがあった時になります。記念大会で、出場校が20校と多かったとはいえ、1分53秒差をひっくり返して、さらに往路優勝まで流れを作ったわけなので、歴史上に残るだけあります。
さらに、古くからの伝統校法政大は、往路優勝と復路優勝が一度ずつあります。第12回大会に往路優勝、時は流れ平成になり第82回大会で復路優勝がありました。総合は3位が最高ですが、令和になって総合優勝経験チームに、名前を連ねられるか注目です。
合計44校+選抜チームの出場がある箱根駅伝。それぞれ、戦前・戦後~TV中継前・TV中継開始後と分けます。
優勝の順番をまずは見ていきます。第1回大会に現筑波大にあたるチームが優勝したのは、駅伝ファンみんな知っていると思いますが、それぞれのチームのは優勝の回はあまり知らないのではないでしょうか。
続く第2回で明治大、第3回で早大、第13回では慶大も優勝していて、初出場の4チームは1回以上優勝しています。そして、中央大・日本大と後に御三家になるちーむもその間に優勝しています。
また、あまり知られないない専大が、戦前の第20回で初優勝。初日から往路優勝を果たし、4連覇中だった2位日大と13分26秒の差をつけます。でしたが、復路で大きく詰められるも1分47秒差で逃げ切り、薄氷を踏む思いでの優勝した。なお、9区で日大は踏切の足止め(当時はロスタイムとして減算なし)があり、これがなかったら、果たしてどうだったか…。
その後、しばらく初優勝が出ませんでしたが、42回大会順天堂大が初優勝してから、活性化しますね。45回日体大が初優勝してから、49回大会まで5連覇。さらに大東文化大が51回に初優勝します。名だたる伝統校が出てきていますが、ここまでが、テレビ放映前の初優勝ですね。
テレビ放映後は、箱根駅伝ファンも覚えている方が多いでしょう。第68回大会で、山梨学院大が初優勝。初の留学生出走チームの優勝、出場6回目でのスピード優勝で、上田監督も多きくクローズアップされました。
その後は、大後監督の神奈川大が第73回、そして、今年の春退任までずっと話題になった大八木監督(当時コーチ)の駒澤大学の初優勝が第76回、大波乱があった第82回は亜細亜大、
そのあとは、『山の神』柏原選手を擁した東洋大が、こちらは歴史に残るスロー優勝を果たしました。ここ10年は、平成後期に黄金時代と築いた青山学院大、第95回大会、こちらも伝統校だった東海大がようやく初優勝しています。
…以上になります。第99回大会まで終えた中で、優勝校は17校…。この数は、多いと感じますでしょうか。それとも、少ないと感じるでしょうか??毎年チームが入れ替わる学生駅伝と思うと、ちょっと少ないと感じますかね?
次に、優勝回数ランキングを見てみます。
こちらは、ご存じの方も多いでしょうかね。最多優勝は、中央大の14回です。次いで優勝の多い早稲田大、日本大、この3チームを合わせて、”箱根駅伝御三家”と言われます。
多くの優勝が、かなり以前。日本大は49年前の50回大会が最後、中大・早大もしばらく動きがなかったですが、中大は72回、早大は69回・87回大会で優勝して、少し動きがありましたね。
4位と5位には順大と日体大、一時期順大と日体大が勢力を2部していた頃があり(第50回大会台など)、この2校が一気伸ばしましたね。その後も、順大は、駒大との紫紺対決もあり11回に、第59回大会優勝から優勝回数「9」で止まっていた日体大も、強風の89回大会で伝統校の意地を見せ、優勝回数を10回に乗せています。
そして、平成の常勝軍団と言われた、駒澤大や青山学院大の名前が出てくるのですよね。それぞれ8回と6回です。東洋大の4回もありますね。駒大は長く上位にいたこともあり、まだ8回なの!?と言いたくなるような。
そんな中、第25回大会までに7度の優勝を重ねたのが明治大。戦前と戦後直後に優勝しています。箱根駅伝黎明期に大きく支えた大学とも言えます。その後は、一時12年間箱根路から遠ざかった時期もありましたが、今は復帰しています。
優勝と言えば、箱根駅伝は、総合優勝だけでなく、往路優勝と復路優勝があります。こちらでも、大きなドラマがあるのですが、大学によっては、片道優勝の三経験があります。
まずは「BIG4」の筑波大・明治大・早大・慶大となります。大河ドラマでも、少し再現されましたが、箱根路を往復で駅伝をやってみよう、とのことで、とりあえずの10名揃えることができたのが、この4校だったわけですね。この当時は2月14日14時スタート、箱根山登りは暗闇の中、たいまつで地元の方が誘導されたともいわれています。
その直後、第2回大会で法政大・中央大・東京農大、第3回大会には日本大が参加し、今なお伝統校・常連校として名前を連ねている大学の参加になります。また、関東地区以外で、関西大が招待されたこともありました。
さらに15回大会前後に、初出場ラッシュ!出場枠が8校ほどだったのが、13校にまで拡大されたのが大きいですね。ここで、有力校では東洋大が出場。14回大会で初出場、優勝が85回大会は、初出場から、最もスローの優勝ということで、歴史に名前が残っています。
他にも、拓大や神大がこのころ。テレビ放映されてから、復活出場しているチームですが、初出場は結構前なんですね。今年の箱根駅伝で、55年ぶりに出場した立教大も、このころです。
また、唯一戦時中に行われた第22回大会に、ここ10年話題になり続けている青山学院大が初出場します。なお2度目の出場が第41回大会と大きなブランクがあり、さらにまた85回大会で33年ぶり復帰と、最大ブランクでの出場があり、不思議な歴史を持つチームです。
戦後直後の大会でいろんな動きがありましたね。横浜国立大など、多くの大学が戦後で10人集めるにも苦労した中で、運よく出場ができたチームもありました。その中、日体大が戦後に初出場。そして現在進行形の75回連続75回の出場をしています。
さらに30回大会~40回大会以降に、初出場校ラッシュ!戦後になって、一気に戦力分布図が変わっていくのですね。その中で、国士大・順大・さらに駒大や大東大などの、現在の常連校の名前がありますね。
この中で、優勝が早かったのが順大や大東大。順大が初出場34回で初優勝41回、大東大が初出場44回で初優勝51回。今よりも、強化校数が少ない時代とは言え、本当に素晴らしい強化ですよね。
また、亜細亜大と駒澤大が43回同時出場。駒大は同好会だったのに、出場できてしまったそうですね。72回大会まで亜大の方が少し成績上回っていたのが、大八木さんが来てから一変して平成の常勝軍団に。亜大も、82回大会初優勝の際は、駒大の5連覇を止めたということで、この因縁も面白い。
さらに、第49回大会に東海大が初出場。箱根駅伝地元のチームの一つですが、意外と強化開始したのは遅く。当時の学長の「なんで、うちが出てないんだ!」の一喝で強化始まったのも、逸話として残っています。
そして、テレビ放送開始直前の第60回記念大会。”東京大”というパワーワードがありますね。いつになく戦力が整っていたところ、60回の増枠を見据えて敢えて留年したりもしたそうな。見事に射止めて、総合17位の成績を残しています。
ちょうどテレビ中継が開始された第63回大会に初出場したのが山梨学院大。創部2年目でのスピード出場でした。そして65回大会から初の留学生ランナーを迎え入れて、68回大会で初優勝。勿論、留学生の賛否はありましたが、その後の高速化に大きく貢献しています。
さらにテレビ放映もあってか、強化するチームが一気に増えました。70回記念大会で中央学院大・帝京大が初出場。74回大会で帝京大、77回大会は平国大と國学院大。70回は枠が増えていましたが、それ以外は当時の15校なので、それで初出場が出てくるのが凄いですね。
77回の時は、予選の場所や時間が変更。例年より暑い時間帯に行われ、さらにアップダウンも多かった。序盤から突っ込んだ常連校が失速。後方からいった國学院大と平成国際がまさかの初出場となりました。
その後、一時出場が途切れたこともありましたが、帝京大と國学院大は見事常連校に、中央学院大も長く連続出場を続けましたね。さらに79回大会から19校参加、85回大会以降記念で23校になるなど、枠が大きくなりました。
それを思うと、以外と79回大会以降は初出場校が増えてない…かな?初出場だけでなく、明大や青学大などかつての常連校の復活にも、一躍買っているようです。
その中で、80回は城西大、85回は上武大が出場。ともに櫛部監督・花田監督と早大関係者なのは、何かの縁でしょうか。その後、城西大が定着、今季は有力校の一つですね。
さらに91回大会創価大、92回大会東京国際大が出場。最初は隔年出場も、両校同時にシード権を獲得、またこの2校の留学生が非常に強かったり、何となくペアで語られることも多いですね。ここにきて常連校に風穴を開けたのは、非常に大きいです。
さらに、98回大会は駿河台大が初出場でタスキをつなぎ切り、笑顔でのゴールが話題になりました。99回は出場できませんでしたが、今後さらに出場を重ねて常連校になっていくか目が離せません。
以上、ざっと44校の歴史を振り返ってみました。
※今年のシード権に関しては入れていません
こちらはダイジェストになります。第2回大会から出場して以降、不出場が3度しかない中央大が断トツ!93回の時に予選落ちしていますが、その直前から現藤原監督に変わり、舟津選手を1年生主将に添えたり、改革を行ってたことによって、94回直ぐに復活。第100回で優勝候補に一角まで上がっています。
また、第1回大会出場したチームではトップとなる早大が92回。戦前に何度か出場しなかったとき、また部員不足で予選に出場できなかったことがありましたが、瀬古さんが入学した第53回大会からは、ずっと出場を続けています。日本大も、近年は苦戦気味ですが、89回もの出場を重ねています。第100回御三家揃うか注目。
他、上位はやはり戦前に出場したチームが多いですが、戦後に初出場している順大や日体大がトップ10に名を連ねているのは、中々凄いことかなと思います。日体大は、先述のとおり、初出場からの連続出場を続けています。
また、一時連続出場が途切れた明大も64回、さらに第70回大会から26年ブランクで一度出場の筑波大も61回出場、いかに箱根駅伝創成期を支えていたかがよくわかりますね。これに、もうすぐ駒大が追いつきそうな57回です。
他、平成に初出場をしたチームでは山梨学院大の36回、近年黄金時代となった青学大はまだ28回、それ未満で國学院大や創価大などのシード校もいます。本当に伝統校から新興勢力のチームと入り乱れているのが、今の箱根駅伝ですね。
最後に、箱根駅伝御三家と言われる中大・早大・日大の記録と現状です。
初優勝
第3回早稲田大学
第7回中央大学
第16回日本大学
優勝回数
1位中央大学14回(第72回)
2位早稲田大学13回(第87回)
3位日本大学12回(第50回)
4位順天堂大学11回(第83回)
5位日本体育大学10回(第89回)
初出場
第1回早稲田大学
第2回中央大学
第3回日本大学
出場回数
1位96回中央大学
2位92回早稲田大学
3位89回日本大学
4位83回法政大学
5位81回東洋大学
こう見ると、出場したのも早いですね。BIG4の早大だけでなく、直後の大会で中大や日大も参加を始めました。早大は3連覇以上がなかったものの、エースと他戦力が噛み合った時に、時代問わず優勝を重ねている印象。
中央大は、戦後に破竹の6連覇がありました。戦後に、いち早く戦力を整えることができたのがとても大きかったようです。食糧難の時期に、うまいことやってお米を大量に蓄えることができたそうで…。この6連覇を含めて第31回大会~第41回の間に8度も優勝しています。
そしてこの中大6連覇の前と、6連覇の後に優勝したのが日大。もとい、中大8度の残り3度は日大なんですね。
さらに昔をたどると第11回12回早大、第14回15回早大、第16回から日大が4連覇、第21回22回日大が再び連覇、戦後直後は明大の名前もありますが、24回から30回の内中大が4度、早大が2度優勝。その後日大連覇し中大6連覇…
戦前戦後と本当に大活躍しているのですよね。その後、順大や日体大の台頭、さらに大東大・山学大などが出てきて、群雄割拠の時代が訪れますが、その中でも出場を重ねていますし、優勝回数記録はまだ3校がキープしています。
中大はここのところ、戦力が大きくアップし、99回大会準優勝、100回大会は優勝候補の一角に上がりそうです。第72回大会以来の優勝なるかどうか。早大は、シード権を行ったり来たりしていましたが、花田監督になって、ここ2年で一気に上がっています。オールドファンは嬉しい状況かな?
日大が苦しんでいて、シード権獲得は90回大会が最後、ここ3年は箱根出場から遠ざかっています。でしたが、新監督も迎えました。100回大会の見通しは何とも言えませんが、ここから立て直してくると思われます。
またいずれ御三家が揃って上位争いをするという状況も、観てみたいなという気もしますね。
箱根駅伝ファンのための情報集
【箱根駅伝ファンのためのリンク集】
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